最新記事

メディア

「ポスト冷戦期」を見届けた後

2017年12月26日(火)16時33分
池内 恵(東京大学先端科学技術研究センター准教授)※アステイオン創刊30周年ベスト論文選より転載

とはいえ、歴史の回転は考えてみるとかなり早い。『アステイオン』の三〇年間は、歴史が大きく一回りするのに十分な年月である。考えてみれば、ベルリンの壁が建設されたのは一九六一年。それが一九八九年に壊されているのであれば、ベルリンの壁が存立していたのはたかが二八年間に過ぎない。ベルリンの壁が崩壊して以後の年月は、二〇一七年で二八年間となる。ベルリンの壁が存在していた期間よりも、それが崩壊してからの時代の方が長くなりつつある。冷戦崩壊前後の混乱期に、ポスト冷戦の時代とはどのようなものになるかを、その当時の「イキのいい」学者を集めて羅針盤を示そうとした『アステイオン』は、今度はポスト冷戦の時代の終わりを見届け、「その先」を示してくれる、新たな書き手を集める場所となるべきなのだろう。

冷戦の崩壊期に創刊された『アステイオン』は、今やポスト冷戦期の崩壊なのかあるいはその再編なのか、とにかく新たな不透明な時代に三〇周年を迎え、気づけば古参の「老舗」となった。その間に、雑誌という媒体が置かれた環境は激変していた。

かつて『アステイオン』は、『文藝春秋』や『中央公論』や『世界』、あるいは『諸君!』や『論座』などの、総合誌や論壇誌と呼ばれる月刊誌の一群の中で、それらに肩を並べつつ、特別の地位を占めていた。『アステイオン』で健筆を揮った著者の多くは、総合誌や論壇誌にもしばしば名を連ねたが、『アステイオン』に書く時にはまた別格の格調の高さを求められ、自然にその要求水準をこなしていたように思われる。ところがその後、月刊誌の多くは休刊となった。なおも残る数少ない雑誌は、高年齢層にターゲットを絞った紙面構成や、左か右かに極端に偏った論調で露命を凌ぐのみである。

出版市場が隆盛で、各社が競って週刊誌・月刊誌を刊行し、読者層を開拓し、書き手を集めていた時代に、季刊というやや悠長なサイクルで、しばしば高尚な議論に専念できることこそが『アステイオン』の初期の時代の強みだった。サントリー文化財団に全面的に支援されて目先の読者を追う必要のない『アステイオン』は、商業誌が開拓し種を蒔いた雑誌文化の「上澄み」をもらうという、かなり「おいしい立場」に立てた。そういった条件が、一つ一つ失われていく中で、おそらく『アステイオン』も人並みの苦労をしたのだろう。相次ぐ判型の変更や、一九九九年の季刊から年二回刊への変更などは、試行錯誤が形に現れたものなのだろう。

雑誌の苦難はいうまでもなく、メディアと情報の技術の変化に起因している。インターネットの普及とSNSの広がりは、既存の雑誌の存立する根拠の多くを奪った。速報性でも、過去の記事の検索の容易さでも、紙媒体は電子媒体にはるかに劣る。特に「月刊誌」がその名の通り「月に一度」出すというサイクルは、国内や国際社会で生じて来る事象に対応するのにもっとも相応しくないものになってしまっている。何か大事件が起きた時に、取材し、原稿を依頼し、論考が出てきて、校了して、市場に出す頃には、インターネットで全ての情報伝達と議論が終わってしまっている。情報が最も古くなった時に手元に届くという間の悪さである。『アステイオン』は、年二回刊という、かつての月刊誌全盛の時代から考えれば随分と控えめのサイクルで刊行するようになっているが、これはかえって再び「おいしい立場」に立てるきっかけともなりうる。新聞も週刊誌も月刊誌も、特に速報性で、インターネットやSNSに敗れつつある。しかし、半年に一度となってしまえば、もう速報性は関係ない。むしろ、インターネットやSNSで一時的に騒がれ、すぐに忘れ去られてしまった重大な事象を、改めて掘り起こし、まとまった形で読者に示す役割を追う、数少ない媒体となれる。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

鉱物資源協定、ウクライナは米支援に国富削るとメドベ

ワールド

米、中国に関税交渉を打診 国営メディア報道

ワールド

英4月製造業PMI改定値は45.4、米関税懸念で輸

ビジネス

日銀、政策金利を現状維持:識者はこうみる
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 5
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 6
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 7
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 8
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 9
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 10
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中