最新記事

いとうせいこう『国境なき医師団』を見に行く

マニラのスラムでコンドームの付け方さえ知らない人へ

2017年3月28日(火)14時45分
いとうせいこう

のちに詳しく取材してわかることだが、ボンベから噴射する冷気も酢も、子宮頸癌の初期状態への治療に要するものだった。感染していれば患部は酢で変色する。その部分のみを窒素ガスで凍らせて除去するのだ。

あまりに簡素な診察室だった。だが目的が明確だから豪華にする必要もないのだった。ただもし彼らにもっと資金があれば器具も最新の物になり、プライバシーも十全に守れるようになるだろうと思った。

itou20170327191303.jpg

簡素な医療器具が女性を救う。

出発は9時20分。俺は谷口さん、ジェームス、ロセル、ジュニーと5人でバンに乗った。すでに出発していたリカーンのメンバーが活動しているバランガイ220へ行くためだった。

幹線道路から外を見ていると、ゴミがあちこちに積まれる中、カゴに一羽ずつニワトリが入れられて飼われていたり、上半身裸の少年が歩いていたり、木造の家の真ん前にまた木造の小屋を建てている者がいたりした。一様にホコリと泥ですすけた色をしている中、小学生や中学生らしき者だけが真っ白なシャツを着ていた。

やがてバンは横道へ入った。少し行く度に路地のようなものがあり、その狭い道の上に看板があってバランガイの何番であるかが示され、誰がそこの役職についているかが細かく書かれたりもしていた。たいてい「ようこそ」と親しげに呼びかけている。

ジュニーは運転席の横で目的地を割り出そうとしているが、住所だけではなかなか難しいらしかった。スマホで地図も見ているのだが、バランガイ220がどこかがわからない。

「バスケットコートのあるとこなんだけど」

ジュニーがそう言うと、ジェームスが後方座席からとぼけた声を出す。


「バスケットコートはそこら中にあるよ」

これもあとからわかったことだが、マニラの村のような組織バランガイのあちこちには広場があり、そこにバスケットコートがある。なんだかニューヨーク郊外のスラム地域みたいな状態になっているのだ。

数ヶ所で教えてもらって、ジュニーはようやく目的のバランガイにバンを近づけることが出来た。古い車の部品が乱雑に積まれた倉庫の前で降りてついていくと、スラムというほど家々が壊れていない道に出て、遠くからマイクを通した女性の声がしてきた。

すぐに道の脇に大きなコンクリートの施設が見え、その前に屋根と柱だけがついた横長の集会所らしきものがあるのがわかった。一列に10個ほどプラスチック椅子があり、それが15列はあったろうか。かなりの規模の集会が出来るはずだった。

そこでビニールの解説図を立て、マイクで説明しているのは医院をリキシャで出て行った女性の一人だった。聞き手の住民も30人以上いて、がやがやはしながらも熱心に耳を傾けている。

見れば解説図は男性女性の性器の断面図で、何か女性が説明すると聞き手が間(あい)の手のような言葉を発したり、質問に答えたり、照れたように笑ったりするのだった。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、ウォルツ大統領補佐官解任へ=関係筋

ビジネス

物言う株主サード・ポイント、USスチール株保有 日

ビジネス

マクドナルド、世界の四半期既存店売上高が予想外の減

ビジネス

米KKRの1─3月期、20%増益 手数料収入が堅調
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ウクライナ戦争は終わらない──ロシアを動かす「100年…
  • 5
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 6
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新…
  • 7
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 8
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 9
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 10
    【徹底解説】次の教皇は誰に?...教皇選挙(コンクラ…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 8
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 9
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 10
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 9
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 10
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中