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シリア

ロシアとトルコの主導で、シリアは和平に向かうのか?(後編)

2017年2月7日(火)16時20分
内藤正典(同志社大学大学院教授)

Muhammad Hamed-REUTERS

<周辺国やヨーロッパに流出した大量のシリア難民が、アサド政権下の故郷に戻ることはない。ロシアとトルコが鍵を握るシリア和平のこれからを、中東専門家の内藤正典氏が考察する。その後編>(写真:中東・ヨーロッパを襲った未曾有の難民危機も、その源泉はシリアにある)

前編から続く

欧州難民危機と一体のシリア戦争

シリア問題を考えるときに、一つ困ったことがある。中東の専門家は、この問題を中東に限ってしまう傾向があるのだが、実際には2015年に起きたヨーロッパ難民危機と完全に一体の問題である。100万人を超える難民がヨーロッパになだれ込んだ西バルカンルートは、トルコから始まっている。アサド政権側と反政府勢力との衝突がつづくなか、アサド政権軍は原始的だが途方もない危害を与える「樽爆弾」を無数に国民の頭上に落とした。2014年3月、シリアとの国境に近いトルコの町キリスを訪問した際、シリアから逃れていた人々はほぼ全員、アサド政権による空爆、とりわけ「樽爆弾」の恐怖を訴えた。ドラム缶のような容器に爆薬とコンクリートや鉄球などを詰め込んでヘリコプターから落下させるこの爆弾は、大音響とともに相当な破壊力があり、一瞬にして集合住宅を破壊する威力がある。難民の多くは、その大音響を思い出すと身体が硬直してしまう。注目すべきは、その時点で「イスラム国」はまだ存在していなかったことである。後に、「イスラム国」がシリア北部を制圧していくにつれて、アサド政権に家や家族を奪われたうえに「イスラム国」の苛烈な支配に巻き込まれた市民が難民となっていく。

したがって、ヨーロッパにいる難民は基本的にアサド政権が従来のまま存続する地域に戻るとは思えないし「イスラム国」の支配下に戻ることもあり得ない。逆に、EU諸国にとっては難民を将来的に帰還させることができないと、各国で排外主義を扇動するポピュリズムが高揚し、いよいよEU自体が危機に瀕することになる。今年、3月にはオランダの議会選挙、その後、フランス大統領選挙、ドイツの連邦議会選挙とEU各国で重要な選挙が相次ぐ。オランダでは、トランプ大統領以上に激しい反移民、反イスラムを掲げるヘルト・ウィルダースが率いる自由党の優勢が伝えられている。フランスでは、極右国民戦線のマリーヌ・ルペン、ドイツでは排外主義と反イスラムを掲げるフラウケ・ペトリ率いるAfD(ドイツのための選択肢)の躍進が予想されている。排外主義と反イスラムの主張が、難民危機に由来していることは言うまでもないが、この危機的状況を改善するには、そもそもシリア戦争を終結させ、かつ、難民が安心して母国に戻れる環境を整える以外に道はないのである。

【参考記事】ロシアとトルコの主導で、シリアは和平に向かうのか?(前編)

さらに困難なのは、西バルカンルートの出発点となったトルコには、いまもって270万人ものシリア難民が滞留していることである。ヨルダンとレバノンにも100万人近い難民が逃れている。昨年の3月、EUとトルコは難民問題についていくつかの取引をした。これ以上、トルコからEUに難民を流出させないことと引き換えに、トルコが少なくとも30億ユーロの資金援助を受ける。EU側で難民とは認定されなかった人をトルコに送還し、トルコは明確に難民と認められる同数のシリア人をEUに送り出す。さらに、トルコ国民はEUおよびシェンゲン圏諸国にビザなし渡航の権利を得る。最後のビザなし渡航は、難民問題とは無関係だったにもかかわらず、トルコを説得するためにEUが与えた飴玉である。

だが、結果的に現在までEUはこれを実現せず、トルコは約束を反故にされたのではないかと怒りを募らせている。トルコ政府は、再三にわたり、ビザなし渡航が実現されなければ、再度、難民をEU側に流出させると警告しているが、難民の存在を外交交渉に利用するトルコもEUも人権団体から厳しい批判を受けている。

トルコとしては、膨大な数の難民をこのまま抱え続けることなどできない。では、どうするのか? やはりシリアに戻さなければならないのだが、アサド政権の暴虐を非難し続けてきたエルドアン政権としては、難民の安全を確保したうえでないと帰還させることはできない。高い技能をもつ優秀な人材にはトルコ国籍を付与するとエルドアン大統領は発言しているが、そういう人達の多くは、すでにドイツなどヨーロッパに渡っているから少数に過ぎない。

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