僕の北欧的「イクメン」奮闘記
僕が思うに、親たちは自慢しなさ過ぎる。僕は能力を誇示したいとき、一方の手に泣く赤ん坊を抱き、もう一方の手で3輪のベビーカーを押しながら雪の中を歩いたことを話す。親たちよ、究極の試練も恐れてはならない──お出掛けの後で子供を連れてバスで帰ることも、疲れてぐずる幼児に靴を履こうと言い聞かせることも、混雑するショッピングセンターの中で泣きわめく赤ん坊を眠気が去らないうちに寝かし付けることも。
こんな瞬間こそ、正確に言えばこんな瞬間が積み重なったときこそ、僕の育児休暇の意味が輝く。わが子とこんな絆を結ぶチャンスを手にするのは働く父親である僕にとって革命的な出来事だ。
子供との距離がどれほど縮まったか数字にはできないし、育休を取っていない男性より絆が強いと言う気もない。でもここには、何か密接なものがある。息子が人見知りをして僕の胸に顔をうずめるとき、僕はそれを感じる。息子を保育所に預ける日が迫っていることも身に染みて感じている。
ダディーランドは永遠ではない。多くの母親と同じく、僕も仕事に復帰しなければならない。息子を保育所に預けると思うと心が沈むが、職場での新しい挑戦にわくわくもしている。願わくは僕の育休が娘と息子のこれからに意味を持ってほしい。複数の研究によれば、育休を取った父親は子供とより近い関係でいられるという。
でも今は、昼寝と砂場遊びの日々が終わることをひたすら嘆いている。そしてダディーランドを訪れるチャンスをくれた福祉の国スウェーデンに感謝している。
(Slate.com特約)
[2010年9月22日号掲載]