最新記事

映画

監督が明かす『ラーゲリより愛を込めて』制作秘話 シベリア抑留者たちの息遣いを探して

ORDEAL IN SIBERIA

2022年12月8日(木)19時15分
瀬々敬久(映画監督)

magSR20221208ordealinsiberia-4.jpg

山本モジミ(北川景子)と4人の子供は隠岐の島で幡男の帰りを待ち続けた ©2022映画「ラーゲリより愛を込めて」製作委員会 ©1989 清水香子

この果てのような土地から地の果て、シベリアまで赴き死んでいった山本幡男さんの人生、この隠岐の風景と相まって流浪の民の旅する姿をイメージした。

一方、妻のモジミさんは隠岐の中心的な島である島後(どうご)の出身だった。彼女は戦後、日本に帰って島の内陸にある苗代田という集落で魚の行商を始める。

夜中に家を出て漁港のある西郷港まで20キロほどもあるだろうか、歩いて行き魚を仕入れ、戻りは朝一番のバス。そうして内陸の集落で魚を行商して戦後を生きたという。

「チャーミングなお母さん」に変更

幡男さんの長男、顕一さんに話を聞いた。母親はとにかくドジなお母さんだったと。

母親のとっておきの話は、西郷港に向かう途中に長いトンネルがあるのだが、真っ暗闇を通るとき、あまりの恐怖でお漏らししてしまったこと。事あるごとにその話を笑ってする母親が嫌だった。

その後、モジミさんは小学校の教員に復職。音楽と図工が大の苦手で、授業の前日は思い切り暗かった。料理も下手。一緒に住んでいた幡男さんの実母はそれらが完璧で、いつも負い目を感じていた。

原作にはこれらの逸話は一切ない。モジミさんは良妻賢母の日本の理想像たる完璧な母親として描かれている。

クランクインが数週間後と迫っていたが、顕一さんから聞いたチャーミングなお母さん像に変更した。

人間の本質は時代が変わってもそうは変わらない。ドジもすれば失敗もする。それがかわいい。そういう人物像にしていくことで、現代の若い人たちにも見てもらえる映画になるのではないか。そう思った。

だが、そんな母親が狂ったように泣いたのを顕一さんはずっと忘れられない。

ある電報が届いた時だった。モジミさんは畳の上を転げ回るように狂ったように泣きわめいたという。顕一さんが母が泣くのを見たのは、その一度きりだったという。

編集部から依頼されたこの原稿のテーマは「シベリア抑留とは何だったのか」だが、僕にはその大きな問いに答える自信はない。

ただ、映画の中でも描いているが、帰国事業が一時、中断したことがある。それは朝鮮戦争が起こった年だ。

朝鮮戦争に象徴されるように、当時の東アジアはソ連とアメリカの冷戦の草刈り場だった。そのような政治状況の中、米ソの勢力争いの渦中で、シベリア抑留問題も漂い続けたのではないだろうか。ウクライナとロシアの戦争の裏に、常にロシアとNATOおよびアメリカの綱引きが見えるように。

さらに、山本幡男さんの仲間たちが乗った興安丸、最後の引き揚げ船が舞鶴に寄港した年は日ソ共同宣言が出され、日ソの国交が回復された年と重なる。これはどういうことを意味するのか。

日本国内を見てみれば、シベリア抑留者の帰還問題は絶えず北方領土返還という政治問題の中で天秤(てんびん)に掛けられ続けていたのだ。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米・イランが間接協議、域内情勢のエスカレーション回

ワールド

ベトナム共産党、国家主席にラム公安相指名 国会議長

ワールド

サウジ皇太子と米大統領補佐官、二国間協定やガザ問題

ワールド

ジョージア「スパイ法案」、大統領が拒否権発動
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバいのか!?

  • 3

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイジェリアの少年」...経験した偏見と苦難、そして現在の夢

  • 4

    「まるでロイヤルツアー」...メーガン妃とヘンリー王…

  • 5

    時速160キロで走行...制御失ったテスラが宙を舞い、4…

  • 6

    日本とはどこが違う? 韓国ドラマのオリジナルサウン…

  • 7

    チャールズ英国王、自身の「不気味」な肖像画を見た…

  • 8

    「裸に安全ピンだけ」の衝撃...マイリー・サイラスの…

  • 9

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 10

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 5

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 6

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 7

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 8

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 9

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 10

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中