最新記事
文学

白人男性作家に残された2つの道──MeToo時代の文壇とメディアと「私小説」

2021年10月14日(木)16時20分
野崎 歓(放送大学教授、東京大学名誉教授)※アステイオン94より転載

前作の成功後、彼は自らが培ってきた経験と知識にもとづき、一般人向けのヨガ入門書を書こうと思い立つ。そして2015年1月、ブルゴーニュ地方の僻地で催された10日間のヨガ合宿に、取材も兼ねて参加したのである。「外界の情報を完全にシャットアウトした状態で、とにかく最後まで頑張ること。もし途中で挫折すると悪影響を及ぼしかねません。」主催者にそう言い渡されて合宿は始まった。

カレールは他の参加者たちとともに道場で瞑想に打ち込み、次第に心身が解き放たれていくのを実感する。ところがその静穏な日々は途絶した。2015年1月7日、イスラム過激派による「シャルリ・エブド」紙襲撃事件勃発。殺害された12人のうちには、たまたま編集部に居合わせた経済学者ベルナール・マリスが含まれていた。

マリスはカレールの心から信頼する女性ジャーナリスト、エレーヌ・フレネルの恋人であり、カレールにとっても大切な友人だった。エレーヌは葬式で弔辞を述べてほしいと、合宿中のカレールを呼び出したのだった。

カレールは合宿を途中で抜け、葬式で故人の思い出を語った。そののち、彼の精神は徐々に調子を崩していく。ヨガと瞑想のもたらす境地ははるか遠くに去った。やがて彼は、心配した妹に伴われて精神病院で診察を受け、4カ月の入院生活を余儀なくされることとなった。

つまり、本来カレールが構想していたエッセイ「ヨガ」は、彼の精神が思いもよらず陥ることとなった困難を前にして放棄された。そして挫折感や自責の念に苛まれつつ、どこに救いがあるのかもわからないその苦境自体を描くことが『ヨガ』の主眼となったのである。ただし、カレールの筆遣いはスケッチ的な軽快さを失わない。自らを「ネタ」にして揶揄したり、おかしみをにじませたりするだけの図太さもある。そのスタイルを支えているのは、自分が書いているのはすべて事実だという自負だろう。

「文学に関して私が抱いているただ1つの信念。それは、文学においては噓をつかないということである。それだけが絶対的命令で、あとは二次的なことでしかない。」

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米新規失業保険申請1.8万件増の24.1万件、2カ

ワールド

米・ウクライナ鉱物協定「完全な経済協力」、対ロ交渉

ビジネス

トムソン・ロイター、25年ガイダンスを再確認 第1

ワールド

3日に予定の米イラン第4回核協議、来週まで延期の公
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 5
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 6
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 8
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 9
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 10
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中