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フェースブック
過去か未来か
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会員5億人の「お友達帝国」
フェースブックを作った男
彼の謎めいた性格の表現については、脚本をも超えるアイゼンバーグの演技の力が大きい。眉をピクリと動かし、顔を引きつらせ、さっと視線を走らせるなど、そのしぐさは周りを寄せ付けない。自己防衛が過剰で傷つきやすく、愛情に飢えている。不器用なくせに人を動かすときの洞察力は鋭い。
本当の孤独は癒やせない
ザッカーバーグ本人でさえ自分をよく分かっていないことは皮肉な結果を招くが、悲しいことに私たちの多くも同じ罠にはまっている。ザッカーバーグたちは膨大な時間とエネルギーを費やし、自分たちの作ったソーシャルネットワークを通じて人々を結び付けようとするが、やり方がそもそも間違っていることに気付いていない。
有意義で幸せな人生は、孤独から逃れた先にあるわけではない。ワイルダーが半世紀前に学生たちに語り掛けたように、アメリカみたいに大きくて自由で何の邪魔もない国に暮らしていると、孤独は避けようがない。
私たちはむしろ、孤独の「使い方」を身に付けなければならない。ワイルダーの素晴らしい表現を借りれば「孤独を、豊かで有益な独りに変えようとするアメリカ人の戦い」だ。映画の登場人物が互いにうまく付き合えないのは、自分との付き合いができていないからであり、本当の自分を知らないからでもある。
映画を見た後にフェースブックにログインすると(どんなときもログインせずにいられない)、これまでと少し違う感覚が生じるかもしれない。ひとつには、だらだらとフェースブックを使うのは良くないと思えてくる。かつてないほど騒々しく厳しい世の中で、クリック1つで数十人、数百人の友人とつながれば、「有益な独り」を築くことは難しくなるばかりだ。
この「常につながっている」という感覚は、不安や恐怖を忘れたような気にさせる。そして学生のように不安定なまま成長できない自分を感じ始める。
しかし映画を見た後の最大の変化は、フェースブックが痛ましいものに見えてくることだ。現代の孤独への対抗策として始まったフェースブックが、私たち自身の孤独との戦いの記録のように思える。
フェースブックと孤独の関係を最も鮮明に描いているのは、3分間の印象的な予告編だ。レディオヘッドの「クリープ」の合唱に乗せて、フェースブックのプロフィールが映し出される。日常生活の断片が積み重なって社会のもろさと夢を俯瞰する映像は、ワイルダーが小さな町の日常生活を描いた戯曲『わが町』の世界だ。
絶えず誰かとつながっていても私たちを本当に苦しめる孤独は癒やせないが、それでも私たちはつながっていようとする。人生のルールを見つけようとし、どうやって大人になればいいのかを知ろうとする。自分がザッカーバーグと同じ罠にはまらないようにと願いながら。
[2010年10月 6日号掲載]