コラム

五輪開会式に見る「国の自己紹介」の難しさ

2012年07月30日(月)09時52分

 先週の金曜日に開幕したロンドン五輪では、映画監督ダニー・ボイル(『トレインスポッティング』、『スラムドック$ミリオネア』)が演出した「英国の自己紹介」が話題になりました。構成としては英国の長い歴史を概観したものですが、内容にはボイル監督による一種の「穏健左派の視点」がハッキリ入っており、なかなか興味深い「ショー」でした。

 まず、ボイル監督は英国の原点を「農村」に置きました。豊かな緑と穏やかな気候に守られた農村が国の原点という見方です。続いて産業革命が大きく国家のありようを変えますが、その主役はあくまで労働者という描き方がされます。更に二度の世界大戦での勝利ということも描かれますが、これも無名の兵士への賞賛という視点、そして戦後に達成した「福祉国家」英国の誇りとして国民皆保険制度(NHS)が大きく取り上げられます。

 その後も、ボイル監督の「視点」は随所に感じられました。エリザベス女王が「007と共にパラシュート降下」をするという演出は、君主制を庶民文化の象徴という視点から描こうという意図が感じられましたし、映画『炎のランナー』の音楽の部分では、世界最高の指揮者の一人であるサイモン・ラトル氏とロンドン交響楽団というビックネームを、喜劇役者のローワン・アトキンソンの「芸」のバックに使うなど、あくまで庶民の視点ということが強調されていました。『ヘイ・ジュード』によるエンディングも、そうした流れの延長に置かれていたために、自然な流れとなっていたように思います。

 これだけであるならば、「どこの国にもいそうな穏健左派」の視点ということになるでしょうが、ボイル監督ならではのユニークなメッセージというのも埋め込まれており、その点は流石であったと思います。

 例えば、産業革命の部分で、シェイクスピア俳優の第一人者であるケネス・ブラナー(『ハムレット』の映画化を監督主演したことで有名。ハリウッド映画の『マイティ・ソー』の監督もやっている才人です)に、当時の英国随一の技術者であったI・K・ブルネルの扮装をさせて、シェイクスピアの『テンペスト(あらし)』の中に出てくる「島の住人」キャリバンのセリフを言わせています。

 ブラナーは、なかなかの名調子で「この島を恐れてはダメですよ。この島は何とも賑やかなんです」に始まる「不思議な島の自己紹介」を朗々とやったのです。この『テンペスト』というお話に関しては、奪った島を地元の人々に返すストーリーが「植民地主義への自己批判」であるという解釈がありますが、ボイル=ブラナーのこの開会式での意味合いは明らかに「不思議な島=グレートブリテン島」であり、その「賑やかな」土着の庶民が産業化もやってのけたんだという意味合いもそこには感じられるわけです。

 そうなると、スカンジナビアやフランス、そしてドイツからの「外来王朝」への批判という寓意もピリ辛の「隠し味」として入っているのかもしれませんが、この辺はアメリカに住んでいる私には判断はしかねます。一方で、アメリカでは「山高帽のケネス・ブラナー」の姿を「エイブラハム・リンカーン」だと思って見ていた人が多いという報道もあり、こちらの方は何とも情けない話ではあります。

 さて、ボイル監督の演出ですが、最後は、ITによる新たな産業革命が世代間断絶という危険をもたらしつつも、新しい英国に文化と産業の可能性をもたらすものというトーンで「英国史」が締めくくられるわけです。そこには、ITによる庶民のネットワーク参加というインフラは、改めて庶民のパワーによる英国の発展の可能性を秘めているという楽観的な、しかし十分にユニークなメッセージも感じられました。

 そんなわけで、ボイル監督の演出は、恐らくはキャメロン首相にもエリザベス女王にも決して快いものではなかった可能性があります。そうではあっても、やり切ってしまう大会実行委の「図太さ」と、それでも華麗にスルーするどころか「乗って」しまう保守派なり王族の「図太さ」が見事に均衡しているのが英国の「国のかたち」であるならば、その本質が見事に浮かび上がったようにも思えます。

 ところで、仮に近い将来に日本が再び五輪のホストをすることになったとしたら、どのような「自己紹介」が可能なのでしょうか? 日本の場合は、左右対立の均衡によって「国のかたち」が成り立っているという姿を「国際社会に理解してもらえるように」表現するというのは、非常に難しいように思われます。例えば、長野オリンピックでの浅利慶太氏は「伝統芸能の紹介+世界の平和と環境保護」といった組み合わせで逃げるしかなかったわけですが、仮に「次」があるとしたら、どんな「自己紹介」が可能なのでしょうか?

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米石油・ガス掘削リグ稼働数、5週間ぶりに増加=ベー

ビジネス

日銀の利上げ、慎重に進めるべき=IMF日本担当

ビジネス

VWの米テネシー工場、組合結成を決定 南部で外資系

ワールド

北朝鮮が戦略巡航ミサイル、「超大型弾頭」試験 国営
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:老人極貧社会 韓国
特集:老人極貧社会 韓国
2024年4月23日号(4/16発売)

地下鉄宅配に古紙回収......繁栄から取り残され、韓国のシニア層は貧困にあえいでいる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 2

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ公式」とは?...順番に当てはめるだけで論理的な文章に

  • 3

    便利なキャッシュレス社会で、忘れられていること

  • 4

    「韓国少子化のなぜ?」失業率2.7%、ジニ係数は0.32…

  • 5

    中国のロシア専門家が「それでも最後はロシアが負け…

  • 6

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の…

  • 7

    止まらぬ金価格の史上最高値の裏側に「中国のドル離…

  • 8

    休日に全く食事を取らない(取れない)人が過去25年…

  • 9

    毎日どこで何してる? 首輪のカメラが記録した猫目…

  • 10

    ネット時代の子供の間で広がっている「ポップコーン…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 3

    攻撃と迎撃の区別もつかない?──イランの数百の無人機やミサイルとイスラエルの「アイアンドーム」が乱れ飛んだ中東の夜間映像

  • 4

    天才・大谷翔平の足を引っ張った、ダメダメ過ぎる「無…

  • 5

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    アインシュタインはオッペンハイマーを「愚か者」と…

  • 8

    犬に覚せい剤を打って捨てた飼い主に怒りが広がる...…

  • 9

    ハリー・ポッター原作者ローリング、「許すとは限ら…

  • 10

    価値は疑わしくコストは膨大...偉大なるリニア計画っ…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

  • 10

    浴室で虫を発見、よく見てみると...男性が思わず悲鳴…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story