コラム

ハーグ条約加盟、小手先の法案では対応不可能ではないのか?

2011年10月03日(月)12時10分

 国際結婚が破綻した際に、一方の親が子供を出身国に連れ去るケースに対して、子供を両親が同居していた以前の国に戻すことを原則とするハーグ条約に、日本は2011年の5月にようやく加盟する方針を打ち出しました。アメリカの国務省の主張によれば日本人母が離婚裁判を省略し、あるいは判決に反する形で子供を日本に連れ去っている問題については145件という事例があるそうで、主としてアメリカとカナダなどが外交上たいへんに強硬な抗議を続けているのです。

 日本ではあまり報道されていませんが、米政界では「日本は子供の連れ去りの容認という拉致をしているのだから北朝鮮の拉致問題で協力する必要はない」という言い方が半ば当たり前のように言われているのです。今回の条約加盟方針はその点で外交上は不可避であったとも言えます。

 いずれにしても、今回の加盟方針決定を受けて、その関連法を整備することになり作業が続けられています。その中で最も問題なのが、「どんなケースでは子供を戻すことを断れるのか?」という点です。先週発表された法制審議会の議事録によれば、現在この点に関しては、

(1)子の連れ去りなどから1年を経過しており、子が新しい環境になじんだ場合。
(2)子の連れ去りなどの時点で、外国側の親が実際には親権を行使していなかった場合。
(3)外国側の親の同意を得て子の連れ去りなどが行われた場合。
(4)子供に対するDVの危険がある場合。
(5)日本側の親に対する外国人親のDVや暴言の可能性があり、結果的に子供に良くない影響が予想される場合。
(6)日本側の親が、相手国から連れ去りの事実により逮捕状が出ているなどの理由で、親子を相手国に移した場合に親権や面会権が行使できない場合。
(7)子どもが明確に意思表明ができ、しかも外国に行きたくないと表明した場合。

 といったケースに関して検討がされているようです。(法制審の原文は少し違いますが、整理するとこういうことです)

 私はこうした小手先の法案では、実務的に回らないばかりか、重大な問題を引きずることになると思います。まずこの7点に関してですが、(2)(3)(4)(7)は筋が通る点ですし、国際的にも通用するでしょう。ですが、(1)に関しては例えばアメリカやカナダの「父親の子への激しい愛情」は1年で諦めるはずは絶対になく、こんな理由で拒絶していたら結局は更に激しい外交圧力が来るだけです。

(5)も同様です。親同士の暴言はあくまで大人の男女の愛憎劇であって、子供にそれを見せた事自体が親権喪失の理由になるなどという考えは通用しません。(6)に至っては、米国の法規に違反して逮捕状が出ている犯罪者を、犯罪者であるがゆえにその国が保護する、まして子供を奪ったままにするというのは許せないということになると思います。

 重大な問題というのは、どちらにしても相手からの強い要求があって、ここで検討されているような条件に引っかからない場合は、日本の裁判所が「子供を外国へ送る」という点です。二重国籍かどうかはともかく、日本国籍という点では明確に日本人である子供を、日本以外の外国に日本の裁判所が送るということは重大な国家主権の放棄だと思います。国家の成立の要件として国土を有し、その国土を実効あるものとして支配することを通じてその国の国民の生命財産を保護する義務を負った国家が、他でもない自国民を外国の支配へと譲り渡すからです。

 どうして子供を外国に送らないといけないのでしょうか? それは、両親が争っている場合に、離婚裁判を日本で行い、親権について日本で決定することができないからです。どうしてできないのかというと、日本の離婚法制では「共同親権制度がない」「親権のない方の親の子への面会権が強制的に保障されない」という法制上の問題があり、更に「子どもは母親が育てるという価値観が強い」「親権のない親が再婚した場合などは面会権を放棄するのが常識」といった社会慣習上の問題があるからです。

 こうした法制上の問題があるために、アメリカ人の父親は絶対に日本で離婚裁判には応じません。と言いますか、アメリカの外交当局が堂々と「日本での離婚裁判は話にならない」と合衆国国民に対して宣言しているのです。

 とにかく法制審の小手先の法案では無理です。実務的にも回らず、外交上の批判を和らげることもできず、しかも日本国民を売り渡すという国家主権の放棄になるのです。そもそも、ちょっと想像力を巡らせば、実際にこうした法律を整備して条約に加盟したとしても、泣き叫ぶ母親から日本国の裁判所が日本国民である子供を取り上げて外国に送致するなどということが「できるはずもない」ではありませんか。

 日本の民法を改正し、離婚法制を変更して「共同親権」「面会権の強制」をしっかり整備する、ついでに養育費支払いに関する強制取り立てもするようにすべきです。その上で、「子供に会いたければ日本に来なさい」として、離婚裁判の席上で、DVや暴言をやらかした元夫を徹底的に日本の法律で懲らしめるしかないと思います。そうなれば、日本の裁判所が日本国民を母親から取り上げて外国に引き渡すなどというバカなことはしなくて済みます。

 もしかしたら外務省も法務省も、ここまで述べたことについては「そんなことは百も承知」なのかもしれません。法律と条約を整備することで将来のトラブルを抑止するのが本意で、過去の異常な事例、特に逮捕状が出ているようなケースに関しては、子供の判断力がつく年令になるまで国が丸ごと「匿う」覚悟を決めているのかもしれません。法案の論点(6)にはそんな気配もあります。ですが、そんなことでごまかせる相手ではありません。父親の子供への愛情、その執念を甘く見てはいけないと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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