コラム

アメリカの顔認証システムによる市民監視体制は、もはや一線を超えた

2020年09月03日(木)18時20分

アメリカの安全保障を裏で支えてきたMitre Corporation

サイバーセキュリティに関心のある方なら、Mitreの名前を目にしたことがあるだろう。Mitre Corporationは、サイバーセキュリティの世界ではMITRE ATT&CKやCVEで知られている。だが、彼らの仕事の範囲はサイバーセキュリティだけに留まらない。Mitre Corporationは安全保障に関わるアメリカ政府機関に深くむすびついている。

Mitre CorporationのMITはあの有名なマサチューセッツ工科大学(MIT=Massachusetts Institute of Technology)から取られている。冷戦時代に空軍が同大学に防御システムの構築の支援を依頼したことから始まっている。Airborne Warning and Communications Systems(AWACS)やSurveillance Target Attack Radar System(STARS)、GPSの開発に関与していた(Forbes、2020年7月13日)。

Mitre CorporationとFBIの関係は少なくとも1990年代には始まっており、1993年にBoston Globe紙がMitreがFBIのデータベースNational Crime Information Center(NCIC、前掲のFBIのデータベース)に関与していたことを報じている(Forbes、2020年7月14日、)。

2014年には顔認証システムと、Next Generation Identification (NGI) systemの構築を手伝った。2015年にはFBIのOperational Technology Divisionのためにフェイスブック、インスタグラム、ツイッターから生体認証情報(顔認証用画像など)を収集した。

2017年にはスマートウォッチやフィットネストラッカーあるいは家庭内の室温計といったIoT機器へのハッキング技術を国土安全保障省に提供していた。

Mitre CorporationはFBIのMultimedia Exploitation Unit (MXU)の最大の発注先だったことがわかっている。2016年以降、FBIのMXUは、毎年日本円にしておよそ1,000億円から2,000億円をMitre Corporationに支払って監視カメラの映像などマルチメディアの調査方法の開発を委託していた。この他に同ユニットはAzimuth社にマルチメディアのバルク検索および画像クラスタリング技術の開発を依頼していたこともわかっている。

顔認証システムを巡る動き

2019年5月にアメリカ自由人権協会(ACLU)がアメリカ下院に提出した資料では現在の顔認証システムには精度、特定の人種などへの偏見の助長、憲法に抵触する危険、透明性の欠如などさまざまな問題があり、いったん利用を禁止し、調査と法制度の整備を行う必要があると指摘されていた。

顔認証システムについてはMIT(The Washington Post、2019年1月25日/)やアメリカ国立標準技術研究所(NIST)(The Washington Post、2019年12月19日)がテストを行っている。両方で性別、年齢、肌の色によって認識の精度が変わることがわかっている。性別では女性、年齢は若年層と老人、肌の色は白くない場合の精度が低かった。

これでは差別や偏見を助長するという批判が起きるのも仕方がない。また、MITのテストではAmazon社のRecognitionはマイクロソフト社やIBM社よりも成績が悪かった(Amazon社はNISTのテストには参加していない)。前掲のACLUの資料では顔認証システムのご認識のために逮捕、拘留された事例が紹介されており、精度の低さが一般市民にとって深刻な脅威になることがわかる。

こうした問題に加えて2020年5月、ジョージ・フロイドの死をきっかけに全米に人種差別への抗議活動=黒人人権運動(Black Lives Matter)が広まり、いまだに収まっていない。Amazon、マイクロソフト、IBM、グーグルといった企業は顔認証システムの提供を停止した。

NISTの顔認証システムのテストは2017年から行われており、2019年まではテスト対象のアルゴリズムとベンダ数は急増していた。しかし、2020年には大きく減少した。アルゴリズム数、ベンダ数ともに2019年の半分以下である。NISTのページで最新の情報を確認できる。黒人人権運動の影響の大きさがうかがえる。

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顔認証システムベンダにとっては見直しの時期なのだろう。ただし、前述したようにICEはClearview AIの契約を締結しており、政府機関の利用は必ずしも減っていないのかもしれない。

次回取り上げる予測捜査ツールではよりはっきりするが、犯罪「事前」捜査にAIを用いることで、「テック・ウォッシング(tech-washing)」が起きている。「テック・ウォッシング」とは、最新の技術を使うことで科学的かつ中立的のように見えるものの、実際には人間の偏見や差別が残っており、むしろそれを永続させてしまう問題のことである。現状の顔認証システムも「テック・ウォッシング」を起こしていた、ということだ。

その是非は置くとしてアメリカでは民間と政府が密接に協力し合って、顔認証システムを広げていた。この傾向は予測捜査ツールでも軍事でも見られる。政府機関と民間組織の間での人の行き来もさかんである。近年は特に民間組織で開発された技術や製品を政府機関が利用することが増えているようだ。

今回はアメリカの顔認証システムを利用した監視についてご紹介した。次回は日本における顔認証システムを用いた監視をご紹介したい。


プロフィール

一田和樹

複数のIT企業の経営にたずさわった後、2011年にカナダの永住権を取得しバンクーバーに移住。同時に小説家としてデビュー。リアルに起こり得るサイバー犯罪をテーマにした小説とネット世論操作に関する著作や評論を多数発表している。『原発サイバートラップ』(集英社)『天才ハッカー安部響子と五分間の相棒』(集英社)『フェイクニュース 新しい戦略的戦争兵器』(角川新書)『ウクライナ侵攻と情報戦』(扶桑社新書)など著作多数。X(旧ツイッター)

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