コラム

超音波照射でマウスが休眠状態に 「冷凍睡眠」より手軽に医療、宇宙旅行に応用可能か

2023年06月21日(水)08時55分

ヒトは水だけで3週間から1カ月程度は生き延びられるとされていますが、救出されたとき男性の体温は約31℃だったため、男性は冬眠状態になったために2カ月も生存できたのではないかと考えられています。

日本でも06年10月に六甲山中で遭難した35歳の男性が、24日間、飲まず食わずの状態で発見されたことがありました。保護された時の体温は22℃と極度の低体温で、ほとんどの臓器が機能停止状態でしたが、男性は後遺症を残さずに回復したそうです。

もし、ヒトの全身を人為的に低体温にして休眠状態にするコールドスリープが確立されれば、火星探査の際に片道約250日間かかる宇宙飛行中の水や酸素、食料を節約できるでしょう。さらに長期間でも安全に行えるようになれば、不治の病の治療法が見つかる未来まで冬眠し続けることも現実的になるかもしれません。

人工冬眠研究の歩み

人工冬眠への大きな一歩となる研究は、20年6月に筑波大と米ハーバード大によって科学総合誌『Nature』に発表されました。

筑波大の櫻井武教授らによる研究チームは、マウスの間脳視床下部の神経細胞(Q神経)を人為的に刺激して興奮させました。すると、マウスの体温は10度以上下がって休眠状態になり、脈拍や代謝、呼吸も大きく低下。48時間以上経過後に回復した際には、後遺症は見られませんでした。同大は、休眠に関係している神経回路のマップ化にも成功しました。

ハーバード大のマイケル・グリーンベルグ教授らによる研究チームは、マウスの視床下部内を226領域に分けて少量のウイルスを注入しました。その結果、ウイルスによってavMLPA(視索前野の前腹側)領域の神経細胞が刺激を受けて活性化されると、休眠状態になることが確認されました。該当領域は、以前から睡眠や体温調節などを司る領域として知られていました。

今回、セントルイス・ワシントン大のチームは、上記の筑波大とハーバード大による人工冬眠に関する研究と、超音波を脳に照射すると触覚を増強させたりうつ病などが軽減されたりするという報告から、マウスやラットの視床下部に超音波を当ててみることを考えつきました。

実験の結果、超音波によってマウスの視床下部視索前野を刺激すると、体温は3.5℃低下し、心拍数は半分になり、呼吸回数も大幅に低下することが分かりました。さらに動きが鈍くなったり、餌を食べる量も激減したりしたことから、冬眠に近い状態に変化したことが示唆されました。

一度の超音波刺激で人工冬眠状態は1時間ほど続き、繰り返し照射すると24時間にわたってマウスを不活性状態にできました。照射を止めると、マウスは目に見える悪影響はなく90分で通常の状態に戻りました。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

イオン、3―8月期純利益は9.1%増 インフレ対応

ビジネス

高島屋、営業益予想を上方修正 Jフロントは免税売上

ビジネス

高島屋、営業益予想を上方修正 Jフロントは免税売上

ワールド

中国、レアアース磁石の輸出手続き9月から厳格化 4
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:中国EVと未来戦争
特集:中国EVと未来戦争
2025年10月14日号(10/ 7発売)

バッテリーやセンサーなど電気自動車の技術で今や世界をリードする中国が、戦争でもアメリカに勝つ日

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以外の「2つの隠れた要因」が代謝を狂わせていた
  • 2
    中国人が便利な「調理済み食品」を嫌うトホホな理由とは?
  • 3
    メーガン妃の動画が「無神経」すぎる...ダイアナ妃をめぐる大論争に発展
  • 4
    車道を一人「さまよう男児」、発見した運転手の「勇…
  • 5
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になり…
  • 6
    筋肉が目覚める「6つの動作」とは?...スピードを制…
  • 7
    連立離脱の公明党が高市自民党に感じた「かつてない…
  • 8
    あなたの言葉遣い、「AI語」になっていませんか?...…
  • 9
    1歳の息子の様子が「何かおかしい...」 母親が動画を…
  • 10
    フィリピンで相次ぐ大地震...日本ではあまり報道され…
  • 1
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になりやすい人」が持ち歩く5つのアイテム
  • 2
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな飼い主との「イケイケなダンス」姿に涙と感動の声
  • 3
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以外の「2つの隠れた要因」が代謝を狂わせていた
  • 4
    【クイズ】日本人が唯一「受賞していない」ノーベル…
  • 5
    中国人が便利な「調理済み食品」を嫌うトホホな理由…
  • 6
    ロシア「影の船団」が動く──拿捕されたタンカーが示…
  • 7
    ベゾス妻 vs C・ロナウド婚約者、バチバチ「指輪対決…
  • 8
    時代に逆行するトランプのエネルギー政策が、アメリ…
  • 9
    ウクライナの英雄、ロシアの難敵──アゾフ旅団はなぜ…
  • 10
    トイレ練習中の2歳の娘が「被疑者」に...検察官の女…
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になりやすい人」が持ち歩く5つのアイテム
  • 3
    「大谷翔平の唯一の欠点は...」ドジャース・ロバーツ監督が明かすプレーオフ戦略、監督の意外な「日本的な一面」とは?
  • 4
    カミラ王妃のキャサリン妃への「いら立ち」が話題に.…
  • 5
    増加する「子どもを外注」する親たち...ネオ・ネグレ…
  • 6
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 7
    バフェット指数が異常値──アメリカ株に「数世代で最…
  • 8
    「日本の高齢化率は世界2位」→ダントツの1位は超意外…
  • 9
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
  • 10
    数千円で買った中古PCが「宝箱」だった...起動して分…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story