アフガン人は強制送還、もしくは⋯イランに逃れた難民を待つ「残酷すぎる二択」の運命とは
IRAN PURGES ITS PAST
使い捨ての駒として搾取
しかしイランはアフガニスタン難民に対する法的保護も支援制度の整備も拒んでいる。たとえイラン国内で生まれ育った人たちでさえ、当局は受け入れや法的保護の提供をかたくなに拒み、代わりに冷酷な搾取の仕組みを生み出してきた。
アフガニスタン出身の数百万もの人々が、今もイランで安価な労働力として働いている。
04年には当時のイラン大統領モハマド・ハタミが、非正規滞在の外国人に対する学校教育の提供を禁じた。その前まで、アフガニスタン難民の児童はイランの学校に通うことを許されていた。
しかし、この禁止令で子供たちは基本的な教育を受ける権利を奪われてしまった。結果、難民の第2、第3世代は貧しく教育のないまま、イラン社会の底辺に閉じ込められることになった。
国家が難民を保護しない以上、民間企業は自由に彼らを搾取することができる。アフガニスタン難民の多くは建設現場や製造業の工場、農場などで過酷な労働を強いられ、今も低賃金でこき使われている。
しかし、最大の搾取は国家によるものだった。イラン政府は早くから国軍内に「難民旅団」を結成してイラクやシリアの戦場に送り出し、難民兵士を最前線に立たせてきた。