日本は家庭環境による格差への認識が薄い社会
<図1>の29カ国のうち、OECD加盟の19カ国については、政府の教育費支出がどれほどあるかを知ることができる。<図2>は、不平等の意識と関連付けてみたものだ。
明瞭ではないものの、公的教育費支出が多い(対GDP比で教育への公的支援が多い)国ほど、ライフチャンスの階層的規定性を感じる国民が少ない傾向がある。教育は社会移動(mobility)の重要な経路なので、首肯できることだ。
日本は傾向から外れている国の1つで、公的な教育支援が少ない(家計の負担割合が高い)にもかかわらず、家庭環境による格差への認識が薄い。成功しない、貧しいのは個人の努力不足のためと考える「ガンバリズム」によって、現実の不平等がたくみに隠蔽されている。為政者にとっては都合のいいことだ。
しかし日本でも、不当な格差の実態がデータで繰り返し提示され、低所得層の大学の学費を減免する修学支援制度や、返済義務のない給付奨学金の制度が2020年度より実施されている。昨年に策定された「こども未来戦略」では、多子世帯の大学学費を無償にする方針も示された。その是非はともかく、教育の機会均等に向けた政策の方向は間違ってはいない。
特に教員を志望する若者は、教育格差の問題にはセンシティブであって欲しい。おそろしいのは、無関心の状態になることだ。
<資料:「ISSP 2019 - Social Inequality V」、
OECD「Education at a Glance 2023」>