最新記事
イスラエル・パレスチナ情勢

ハマスのイスラエル一斉攻撃......なぜ攻撃は始まった? 今後はどうなる?

2023年10月11日(水)17時00分
錦田愛子(慶応義塾大学教授)

かつてない展開の「戦争」

今回の軍事展開には、かつて見られなかった特徴がいくつも指摘される。
第一に、ガザ地区から大規模な奇襲攻撃が同時展開されたという点である。これまでもエルサレムやヨルダン川西岸地区内での政治的展開などに抗議して、ガザ地区からイスラエル領内に向けたロケット弾の発射は頻繁に繰り返されてきた。そのたびごとにイスラエル軍は、ガザ地区への空爆で応酬し、ときには地上軍が展開されることもあった。だがこれまでは、パレスチナ側からの攻撃がロケット弾の発射以上に展開することは稀で、地下に掘ったトンネルを通って少数の戦闘員が潜入し、イスラエル軍に射殺されて終わるなどの規模に終始していた。

これに対して今回は、ガザ地区からイスラエル領内に複数個所地上の境界線を破って、数十人の戦闘員が送り込まれている。かつてない規模と大胆な作戦展開といえる。

これまで強固に維持されてきたはずの、イスラエル軍による境界線の警備が破られ、侵入を許したのはなぜか。一連の戦闘が落ち着いた後には、イスラエル国内で検証が進められ、大きな責任問題として浮上することとなるだろう。

現時点で想定されるのは、大規模なロケット弾攻撃が陽動作戦として機能したこと、ガザ地区の封鎖が安定した状態で長期化したために、イスラエル軍の側の警戒心が緩んでいたこと、その間に長い時間をかけてガザ地区側からは境界線の中で警備の手薄な場所が選定されていたことなどが想定される。数年前に話題になった、ガザ地区から色鮮やかな風船につけて飛ばされた風船爆弾も、今回のパラグライダーでの侵入につながる準備段階だったのかもしれない。

イスラエル側に既に1200人を超える死者

第二に、イスラエル側で非常に多くの犠牲者が出ている点が挙げられる。これまでパレスチナとの衝突でのイスラエル側の犠牲者は兵士を中心としたもので、パレスチナ側の十分の一以下の人数にとどまる場合がほとんどであった。今年5月のガザ地区との戦闘でのイスラエル側の死者は2人、2021年は13人、最多の犠牲を出した2014人でも71人であり、その大半は兵士だったことを想起すれば、事態の異常さが分かる。

今回の攻撃ではイスラエル側に既に1200人を超える死者が出ており、開戦後4日を経過してもまだパレスチナ側の死者の数を上回っている。ネタニヤフ首相が「戦争」と呼んだのは、こうしたイスラエル側にとっての非常事態を指したものと考えられる。

2000年に第二次インティファーダが起きて以来、イスラエルはパレスチナ自治区の領域にやや食い込む形で分離壁を建設しており、検問所を強化して、両者の間の往来は統制下におかれてきた。パレスチナ自治区の人々の存在は、イスラエル社会の外側で接触のない世界での出来事となり、「テロ」が持ち込まれる危険も過去のものとなりつつあった。

近年、情勢はやや不安定化しつつあったとはいえ、イスラエル治安機関が維持するセキュリティに対しては絶対の信頼感が築かれていたといえるだろう。その平穏が破られ、多くの市民の犠牲が出たことの脅威感は相当大きなものであったと考えられる。これをイスラエルの「9.11」だと呼ぶ人々もいる。

多くのイスラエル市民が人質に

第三に、今回の作戦では多くのイスラエル市民が拘束され、パレスチナ武装勢力の側で人質にとられるという異例の展開となった。かつてのイスラエル人の人質としては、ガザ地区での戦闘で拘束された兵士で、5年半後に釈放されたギルアド・シャリートが有名だ。たったひとりの人質をめぐり数年がかりで交渉が続けられ、1,000人ものパレスチナ政治囚と引き換えに釈放された経緯からは、ハマースは人質の価値を熟知しているといえよう。ハマースの高官ムーサー・アブー=マルズークは100人以上のイスラエル人を拘束したと発表し、これに加えてイスラーム・ジハードも30人を拘束したと発表されている。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

米中マドリード協議、2日目へ 貿易・TikTok議

ビジネス

米FTCがグーグルとアマゾン調査、検索広告慣行巡り

ビジネス

中国新築住宅価格、8月も下落続く 追加政策支援に期

ワールド

北朝鮮、核兵器と通常兵力を同時に推進 金総書記が党
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる」飲み物はどれ?
  • 3
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人に共通する特徴とは?
  • 4
    腹斜筋が「発火する」自重トレーニングとは?...硬く…
  • 5
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 6
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 7
    電車内で「ウクライナ難民の女性」が襲われた驚愕シ…
  • 8
    【動画あり】火星に古代生命が存在していた!? NAS…
  • 9
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 10
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベー…
  • 1
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 2
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 3
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 4
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 5
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 6
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 7
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    埼玉県川口市で取材した『おどろきの「クルド人問題…
  • 10
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 9
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 10
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中