最新記事

環境

「ヘッチヘッチ論争」を知らずして、現代環境問題は語れない

2019年5月17日(金)15時00分
松野 弘(環境学者・現代社会総合研究所所長)

また、時の大統領、ローズベルトは早くからピンショーの科学的森林管理に理解を示し、自然環境全体の保全という彼の考え方と国家政策とを具現化していくために、1908年に全米の州知事を含む1000人の指導者をホワイトハウスに集め、自然の保全に対する会議を開催した。

「私が皆さんをここへお招きしたのは、わが国の富の根本的基盤であるものの保全と利用に関する問題を共に考えるためであります」ということから大統領演説を開始し(Nash(eds.),1990=2004:134-135)、「天然資源を採取するに当たって、よりいっそう効率の高い方法を用い、そうすることによって浪費を回避したい」と呼びかけたのであった(Nash [1989=83])。

このように、ピンショーの自然環境に関する保全政策は、ローズベルト大統領の強力な支援もあって、社会的にも大きな影響力をもったのである。

こうした政治的・社会的背景もあって、1913年に下院でダム建設が決定され、ミューアをリーダーとする自然環境保護派は敗北という結果に終わった。

しかし、その後、国立公園法が1916年に成立し、公園内における経済開発が困難となったという事実からすると、自然環境の保存・保護のための環境主義思想は米国民に引き継がれていったともいえよう(Nash, 1987=1989:86)。

このヘッチヘッチ論争は、後の時代の自然環境保護をめぐる倫理的・経済的な論争――すなわち、人間のための資源の有効利用という形での自然環境保全としての「開発志向的な立場」(開発)と、自然のための自然環境保存としての「環境保護志向的な立場」(保護)の対立――を生み出した。経済的利益と環境的利益のバランスをどのように確保していくか、という課題を残していったのである。

このような課題は現在では、環境問題への技術的な対応によって環境保全型の<環境社会>(Environmental Society)を実現可能とする「環境主義」思想と、生態系の持続可能性を基盤とした<緑の社会>(Green Society)の構築をめざす「エコロジズム」思想(Ecologism)との環境思想上の対立に受け継がれている。こうした対立を人間と自然との共生という観点から再検討していくのが現代の地球環境問題の重要な論点である。

matsuno190517eco-book2.jpg
※『エコロジズム』の政治哲学的特質については、「緑の政治思想の名著シリーズ」の第1巻『エコロジズム――「緑」の政治哲学入門』(B.バクスター著、松野 弘監修・監訳、ミネルヴァ書房、2019年4月刊行)を参照されたい。

〔引用・参考文献〕
1. Baxter,B(1999)、『エコロジズム――「緑」の政治哲学入門』(松野弘監訳、ミネルヴァ書房、2019年)
2. Humphrey C.R.,et al.,(1982)、『環境・エネルギー・社会』(満田久義他訳、ミネルヴァ書房、1991年)
3. Hays,S.P,(1959), Conservation and the Gospel of Efficiency, Harvard University Press)
4. Kassiola J.J.(1990)『産業文明の死』(松野弘監訳、ミネルヴァ書房、2014年)
5. 松野 弘(2010)、『環境思想とは何か』(ちくま新書、筑摩書房)
6. 松野 弘(2014)、『現代環境思想論』(ミネルヴァ書房)
7. Nash, R.F.(1987)、『人物アメリカ史(下)』(足立 康訳、新潮社、1989本)
8. Nash, R.F.(1989)、『自然の権利』(松野 弘訳、筑摩学芸文庫、1999年)
9. Nash,R.F.(1990)、『アメリカの環境主義』(松野 弘監訳、同友館、2004年)
10. Righter,R.W.(2006), The Battle over Hetch Hetchy, Oxford University Press.他。

[筆者]
松野 弘
社会学者・経営学者・環境学者〔博士(人間科学)〕、現代社会総合研究所理事長・所長、大学未来総合研究所理事長・所長、一般社団法人ソーシャルプロダクツ普及推進協会理事・副会長等。日本大学文理学部教授、大学院総合社会情報研究科教授、千葉大学大学院人文社会科学研究科教授、千葉大学CSR研究センター長、千葉商科大学人間社会学部教授等を歴任。『「企業と社会」論とは何か』『講座 社会人教授入門』『現代環境思想論』(以上、ミネルヴァ書房)、『大学教授の資格』(NTT出版)、『環境思想とは何か』(ちくま新書)、『大学生のための知的勉強術』(講談社現代新書)など著作多数。

20240521issue_cover150.jpg
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2024年5月21日号(5月14日発売)は「インドのヒント」特集。[モディ首相独占取材]矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディの言葉にあり

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

ECB、6月利下げが適切 以後は慎重に判断─シュナ

ビジネス

中国4月鉱工業生産、予想以上に加速 小売売上高は減

ワールド

訂正-ポーランドのトゥスク首相脅迫か、Xに投稿 当

ビジネス

午前の日経平均は反落、前日の反動や米株安で
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 2

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた異常」...「極めて重要な発見」とは?

  • 3

    羽田空港衝突事故で「日航の奇跡」を可能にした、奇跡とは程遠い偉業

  • 4

    存在するはずのない系外惑星「ハルラ」をめぐる謎、…

  • 5

    老化した脳、わずか半年の有酸素運動で若返る=「脳…

  • 6

    アメリカはどうでもよい...弾薬の供与停止も「進撃の…

  • 7

    共同親権法制を実施するうえでの2つの留意点

  • 8

    半分しか当たらない北朝鮮ミサイル、ロシアに供与と…

  • 9

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 10

    総額100万円ほどの負担増...国民年金の納付「5年延長…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 7

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 10

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中