妊娠して気づいたのは、「マタニティマーク」が全員に無視されることだった...
妊婦を透明にしてきた私を反省
そうモヤモヤしながら、ある日私は近所の産院に分娩予約をしに出かけた。ドアを開けた途端、ずらりと並んだ女たちが一斉にこちらに視線を向け、私はたじろいた。
妊婦、妊婦、妊婦。ここにいるのは全員、妊娠した女たちだった。少子化とはいったい何のことかと思うほど満杯の妊婦で、待合室ははち切れそうだった。
私よりずっと年上に見える女性も、き、君こそがむしろ子どもではと言いたくなるような、若い体つきの女も、それぞれがそれぞれでベストだと思う衣装に身を包み(ザ・妊婦という感じのマタニティドレスに身を包んでいる人もいれば、ぴちぴちのスキニージーンズを穿いた素足の妊婦もいた)、ひな壇の芸人のように色とりどりで、足を組んだり、あぐらをかいたり、めいめいの姿勢をとりながら、診察室のドアが開くのを今か今かと待っていた。
静かなのに、なぜかぎらぎらとした高揚があった。各々が放出する熱気が全員をバターのように溶かし、分離しながらも一体化させていた。「産む女」はここにいた。
もちろん、これまで私が見てきた景色の中、街にも仕事先にも友達の中にもいた、はずだ。けど、なぜだか私の視線は彼女たちを通過していた。私もこれまで、彼女たちを透明にさせていた人間のうちの一人だった。
待合の椅子に座ると、私もその一員になった。途端に世界の全部がふかふかになり、端からくるんと丸くなるような、同時に私のお腹の中に世界全部が包み込まれてゆくような、どちらの感覚もが襲ってきた。
それぞれの事情を下敷きにしながらも、ここにいる女全員が〝お腹の新しい命に会う〞という同じ光源を目指し、日々の暗中模索を生きている。
そう思うだけで、なんだかポカポカとした力強いものが微かに腹の奥から湧いてきて、この妊娠初期のしんどい日々を、なんとか乗り越えてゆけそうな、そんな気がしてくるのだった。
君も妊婦私も妊婦。がんばれ、生きろ。私たちは透明ではない。
小野美由紀(おの・みゆき)
作家 1985年東京生まれ。ウェブメディア・紙媒体の両方で精力的に執筆を続けながら、SFプロトタイパーとしてWIREDの主催する「Sci-Fiプロトタイピング研究所」の事業にも参加している。オンラインサロン「書く私を育てるクリエイティブ・ライティングスクール」を主催。著書に『路地裏のウォンビン』(U-NEXT)、noteの全文公開が20万PVを獲得した恋愛SF小説『ピュア』(早川書房)、銭湯を舞台にした青春小説『メゾン刻の湯』(ポプラ社)、韓国でも出版された『人生に疲れたらスペイン巡礼』(光文社)、『傷口から人生。メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった』(幻冬舎文庫)、絵本『ひかりのりゅう』(絵本塾出版)など。
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