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焦点:53人死亡のトレーラー、暗転した「VIP待遇」の国境越え
メキシコからの移民であるパブロ・オルテガさんとフリオ・ロペスさんにとって、当初、米国への密入国はファーストクラスの旅行のような快適さだった。写真は、きょうだいの携帯に残されたオルテガさんとのやりとり。メキシコ・トラパコヤンで7月13日撮影(2022年 ロイター/Miguel Angel Gonzalez)
[トラパコヤン(メキシコ) 1日 ロイター] - メキシコからの移民であるパブロ・オルテガさんとフリオ・ロペスさんにとって、当初、米国への密入国はファーストクラスの旅行のような快適さだった。ビールは無料で飲め、ビデオゲームを楽しめる隠れ家に滞在し、1週間は狩猟用の牧場で過ごしたほどだ。
2人とも、密入国あっせん業者の「不法入国に伴う最悪の危険を回避する快適な移動」を確保するために、多額の借金を重ねて追加料金を払っていた。
だが6月27日、その「VIP旅行」は暗い結末を迎えた。2人はテキサス州内で60人以上の移民とともに蒸し風呂のようなけん引式トレーラーに詰め込まれ、空気を求めてあえいでいた。
オルテガさん、ロペスさんを含め、ほぼ全員がむせかえるような暑さの中で命を落とした。米国への密入国をめぐる近年の事件の中では最多の死者数となった。
ロイターでは、家族とやり取りした多数のテキストメッセージ、写真、動画をもとに2人の旅路を再現した。数十億ドル規模の密入国あっせんビジネスの世界が、これまで以上に生命の危険を伴うものになっていることを示す、めったに得られない情報だ。
専門家によれば、取り締まりの強化に伴い不法移民にとってのリスクが増大する中で、あっせん業者らが「安全」「特別」「VIP待遇」などを売り文句に、より高額な密入国ルートを売り込む動きが強まっているという。こうしたオプションでは、砂漠地帯を徒歩で横断するのではなく車両での移動を約束し、より快適な待機場所を提供するのが普通だ。
家族によれば、オルテガさんは1万3000ドル(約172万円)、ロペスさんは1万2000ドル(約160万円)の支払いに同意したという。メキシコ政府の2019年のデータによれば、メキシコからの移民があっせん業者に支払う金額は平均2000-7000ドル(約26万円─93万円)。2人の金額はこれを大幅に上回る。
オルテガさん、ロペスさんは、よりよい生活を求めて別々に米国をめざした。単独で、あるいは小人数のグループで移動することになると言われていた、と家族は話している。犠牲者のうち、他に少なくともあと1人、ホンジュラス出身のハズミン・ブエソさん(37)の場合も、やはり高額な料金を払っていたと彼女の弟がロイターに語っている。
オルテガさんはひょうきんな性格の19歳。黒髪に野球帽を得意げにかぶり、5月中旬、メキシコ南東部ベラクルス州にあるバナナ農園に囲まれた丘陵地帯の街トラパコヤンからバスで出発した。
ガールフレンドは妊娠したばかりで、オルテガさんは母親のいるフロリダに向かうことを決めた。そこで稼いだ金を仕送りして、やがて生まれる第1子を育て、自分の家を建てる資金を貯めるはずだった。
<「100%の安全を保証」>
32歳のロペスさんがメキシコ南部チアパス州のベニートフアレスを出発したのは6月8日。痩身でまじめそうな、こげ茶の瞳のロペスさんは製材所で働いていたが、3人うち自閉症の末っ子のケアに使うお金を稼ぎたいと考えていた。左腕に彫られたタトゥーは、その末っ子の名「タデオ」だ。
妻のアドリアーナ・ゴンザレスさんは、あっせん業者が出発前にかけてきた電話で「砂漠を突っ切ることにはならない。何の危険もない」と夫に話していたことを覚えている。「旅程は100%安全であることを保証する」
暴力犯罪、貧困、コロナ禍により、ラテンアメリカ諸国から米国への移民は加速している。今年度、メキシコから対米国境を越えた人数は6月までで過去最高の170万人に達した。一方で不法移民に伴う死者は昨年728人と過去最悪の記録となり、2022年も、これを更新しないとしても似たようなペースで増加しつつある。
強化が進む米国国境の国境警備インフラを回避するため、あっせん業者はリスクの高い方法を選ぶようになっている。大型の18輪トレーラーの利用が流行っているのもその1例だ。
国連のデータによれば、2020年から2021年にかけて、国境越えに伴う車両・輸送関連の原因による死者数は、それ以外の原因に比べて最も増加率が大きくなっている。
あっせん業者への支払いのため、オルテガさんの母親ラファエラ・アルバレスさん(37)はトレーラーハウスを手放した。だがオルテガさんが国境近くに到着したとき、案内人らは、砂漠を迂回する安全なルートに連れて行くため、2000ドル追加するよう求めてきた。リオグランデ川を越え、他の3人の移民希望者とともにトラックの寝台部分に乗ってヒューストンに向かうという。
アルバレスさんは金の宝飾品を質に入れて追加費用を調達した。混み合ったトレーラーには乗らないように息子にはっきりと警告したという。
アルバレスさんが自分の働く建設現場から息子に送った動画で、彼女は「空気がなくなってしまうからね」と息子に語っている。アルバレスさんは、息子と一緒に働けるものと期待していた。
その後2週間、オルテガさんは広々として内装も立派な住宅から写真や動画を送ってきた。国境警備が手薄になるのを待つあいだ、彼はそこでビデオゲームに興じ、あっせん業者はピザや「テカテ」ビールをごちそうしてくれた。
オルテガさんはようやく5月29日になってリオグランデ川を越えた。だが、川岸を越えたところで米国の警備員に捕まり、メキシコに送り返された。
ロペスさんもやはり、最初は越境に失敗した。
メキシコ北部の都市モンテレーに飛行機で移動した後、あっせん業者はロペスさんを国境の町マタモロスに連れて行った。
ロペスさんは他2人の移民希望者とともに、狭くて暑いコンクリート造りの住宅で4日間過ごした。それからあっせん業者の案内で、ロペスさんはボートでリオグランデ川を越え、事前の約束通りに車に乗り込んだ。だが翌日、国境警備隊員に停止を命じられ、ロペスさんはメキシコに送り返された。
家族の記憶は定かではないが、6月14日前後にロペスさんは再び国境を越え、今度は成功した。テキサス州では3時間歩いて砂漠を抜け、ラレード近くにある個人所有の狩猟小屋にたどり着き、そこで約1週間過ごした。ロペスさんが妻に送った動画には、星条旗と野生の鹿の頭蓋骨が飾られた広い木造住宅が映っている。ロペスさんは動画の中で「すごくクールだ」と語っている。
その頃、オルテガさんはまだ国境を越えようと苦心していたが、川の水位が高く、難渋していた。ある時など、移民希望者の1人が激流に飲まれるのも目にした。
6月17日、自撮りした写真に映るオルテガさんは、赤い救命胴着を身につけ、親指を立て、小さな空気注入式のボートに乗り込んでいる。今回はついに越境に成功した。
翌日、オルテガさんはテキサス州の隠れ家の中で、マヨネーズサンドイッチで20歳の誕生日を祝っている。だが、ようやく米国に入ったというのに、オルテガさんの旅はまだ終わっていなかった。国境警備隊は国境から最長160キロ内側まで検問所を設けているからだ。
オルテガさんは妹へのメッセージに「あとほんの少しだ」と書いている。2日後、彼女はオルテガさんに、彼の赤ん坊の超音波画像を送った。
6月21日、ロペスさんは家族に対し最後の連絡をとっており、じきにあっせん業者に携帯電話を取り上げられだろうと予告した。あっせん業者は彼を別の牧場に連れて行こうとしており、そこで数日待機し、サンノントニオに向かう国内の検問所を通過する予定だ、とロペスさんはゴンザレスさんに語った。
ゴンザレスさんによれば、ロペスさんは「子どもたちによろしく。もしうまく行けば、すべてが変わるだろう」と話していたという。
翌日、まだテキサス州内の隠れ家に留まっていたオルテガさんは、母親に対し、到着する移民の数が多すぎるのではと心配し始めている、と語っている。「すでにとんでもない数の人がいる」と彼は書いている。
その後、連絡は途絶えた。
<放置されたトレーラー>
6月27日午後2時50分、米テキサス州ラレドの北方65キロ、同州エンシーナに近い連邦政府設置の検問所を、赤い1995年式のボルボ製キャブにけん引された18輪の貨物トラックが通過した。
メキシコ当局が取得し報告書の中で公表した監視画像には、黒のストライプシャツを着て、窓から身を乗り出して満面の笑みを浮かべている運転手が映っている。
午後6時前、そこからさらに北に160キロ以上進んだサンアントニオ郊外の工業地区の労働者が、助けを求める声を耳にした。地元当局者によれば、この労働者が声を頼りに探したところ、路傍に放置されたトレーラーを発見したという。
数分後、救急隊員が到着した。当局者は、開きかけたトレーラーのドアからは、熱くなった遺体が重なっているのが見えたと話している。公判資料によれば、地上や近くの茂みにも、複数の遺体が散在していたという。
その日の午後、サンアントニオの気温は39.4度まで上昇していた。だが救急隊員らが見たところ、トレーラーの中には水も空調設備もなかった。
最終的に、死者の数は53人に上った。国籍の内訳は、メキシコが26人、グアテマラが21人、ホンジュラスが6人。警察は、容疑者とされる運転手が犠牲者らの近くに隠れているのを発見した。覚せい剤の影響下にあったとされている。
米国大陪審は、この事件に関連して、銃器の違法所持から密入国ほう助に至る容疑で4人の男性を起訴した。有罪となれば終身刑または死刑を言い渡される可能性がある。
夕刻には、この恐ろしい知らせはメキシコや中米諸国にまで広がっていた。
あっせん業者は家族に対し、1週間にわたってロペスさんが存命なのではないかと希望を抱かせてきたが、7月5日、ゴンザレスさんは夫の遺体を写真で確認した。
ゴンザレスさんは、夫の死後、自閉症の息子のケアのための費用に窮していると話している。
最悪の事態を恐れていたアルバレスさんは、あっせん業者に30回以上も電話して息子の安否を確認するよう求めたが、業者は彼女からの電話を着信拒否した。
アルバレスさんはサンアントニオまで足を運び、オルテガさんの遺体を確認した。2014年以来、息子の顔を見るのは初めてだった。
故郷で行われたオルテガさんの葬儀では、35年前にテキサス州内の有蓋貨車の中で窒息死した移民を悼むバラードが演奏された。「空気は尽きていき、誰にもなすすべはなかった。助けを求める声を聞いた者は誰もいない」
歌詞が流れる中、遺族はオルテガさんの墓に赤いバラを投げた。
オルテガさんの子どもの出産予定日は12月31日だ。
(Daina Beth Solomon記者、Jackie Botts記者、Laura Gottesdiener記者、翻訳:エァクレーレン)