コラム

ストリーミングで変わる音楽ライフ

2013年07月03日(水)15時06分

 最近のアメリカでは、もう音楽のMP3ファイルを買うことが少なくなった。代わりに利用されているのが、ストリーミング・ミュージックだ。

 ストリーミングとは、インターネットに接続した状態で音楽サービス会社のサーバーから直接音楽を聴くこと。これまでならば、アップルのiTunesのようなストアから、好きな楽曲を選んで購入し、ファイルを自分のスマートフォンやコンピュータにダウンロードしてそれを聴いていたのだが、ストリーミングは「購入」ではなくて、音楽を「利用する」という感覚だ。

 ストリーミング・ミュージックのサービスは2000年くらいから始まり、今ではパンドラ、スポティファイ、アイハートラジオといったサイトが人気だ。既に昨年のアメリカ音楽産業の売上の15%は、ストリーミング・サービスによるものだという。若い世代は、今やほとんどこの手の方法で音楽を聞いているだろう。

 さて、このストリーミング・ミュージックは、デジタル・コンテンツの将来を考える上で示唆するものが多い。われわれのコンテンツを楽しむ方法が変わっただけでなく、ビジネスモデルの変化もあるし、ライフスタイルにも影響を与えているのだ。

 たとえば、「所有する」という欲や安心感はもう無縁になる。以前ならば、金を支払って買ったファイルは自分のものだという所有感が伴った。だから、好きな楽曲は所有したかったし、またいったん所有したら何度も繰り返し聞くことができる安心感があった。けれども、ストリーミングでは所有しなくても、所有したのとほぼ同じ経験が保障される。自分のリストに入れておけば、いつも繰り返し聞くことができるからだ。

 また、無料で楽しめるというのも驚きである。ただし、無料は広告がついた場合で、ちょうどラジオのように時折宣伝が入る。もしそれがイヤならば、有料の契約をする。かつてピアー・ツー・ピア(P2P)の不法音楽ファイル共有が問題になったが、こんな無料サービスが最初からあれば、訴訟問題も起こらなかっただろう。回り道をして、ここまで辿り着いたわけだ。

 有料の契約ならば、月額、あるいは年額いくらという定額制であることも面白い。1曲いくらではなく、何曲聞いても契約料はそのままだ。料金によって、聴けるデバイス(機器)が異なるとか、モバイル上で聞ける時間の制限があるといった条件はあるが、コンピュータ上で聴いている限りは、ほぼ無制限に音楽を聴き続けることができる。料金は、月5ドルとか年36ドル程度の設定で、ある程度の音楽を聴くのならば決して高くはない。

 音楽の選び方とかファンのなり方も変わった。以前ならば、自分の好きなアーティストを探し求めて、彼らの音楽を聴くという手順を踏んだわけだが、これだけ無数の音楽がすぐ手の届くところにあるのならば、ある意味ではもっと知らない音楽に心を開いて試してみようという気になる。

 このようなストリーミングが音楽に及ぼしている影響は、他のデジタル・コンテンツでも起こっている。たとえば、映画でも今ではストリーミングが主流になりつつあり、夜のピーク時間のアメリカとカナダのインターネット・トラフィックの3分の1は、オンライン映画サービスのネットフリックスの利用で占められているという。

 また、電子書籍も近いうちに定額契約制になるというのが、もっぱらの予想である。そもそも、書籍も音楽も映画も、これまでダウンロードはしていても、本当は所有しているのではなかった。ただ読む、聴く、見るための権利を買っていただけに過ぎない。しかし、かたち上は以前の書籍やレコードのように「持っている」というわかりやすい方法をとっていた。従って、使い終わったからと言って知り合いに譲渡もできないし、場合によってはストアの都合でコンテンツが消去されてしまうこともあり得るのだ。それが、月額いくらで読み放題というしくみに変わる。その意味では、ストリーミング・サービスによって、デジタル・コンテンツは利用するだけという本来のかたちに近づくということだ

 ただし、弊害もあるだろう。

 音楽で言えば、12年前にアップルのiTunesが発表された時、それまで1枚のCDに組み合わせた楽曲がバラバラにされてしまったために、アーティストがそこに込めた思いなどが伝わらなくなってしまった。ヒット作と抱き合わせになっていた面白くない曲に金を払わなくてよくなったとも言えるが、多くの曲が慌ただしく切り捨てられ、他の作品を余裕を持って味わってみようという関係がなくなった。

 ストリーミングになると、バラバラ感はもっと強く、ユーザーは楽曲の最初の5〜6秒で好き嫌いを判断して次の曲へ進むという。アーティストにとっては、表現の幅がいっそう狭まってしまうかもしれないし、われわれユーザー側の判断力もただ加速化されただけで、必ずしもいいものになっているとは言えない。

 また、同じインターネット空間で直結するソーシャルネットワークのクリックひとつで評判が広まってしまうため、話題作はますますメガヒット化し、目立たなくても優れた楽曲はますます見えにくくなる可能性もある。安さと便利さだけに惑わされずにいたいと思う。

 それにしても、アップルもこのストリーミング・ミュージックに参入する予定だが、この分野はすでに強豪が幅を利かせている。アップルと言えども、参入には苦労するだろう。テクノロジーの発展と共に、主要プレーヤーのあまりに速い代替わりにも驚くばかりだ。

プロフィール

瀧口範子

フリーランスの編集者・ジャーナリスト。シリコンバレー在住。テクノロジー、ビジネス、政治、文化、社会一般に関する記事を新聞、雑誌に幅広く寄稿する。著書に『なぜシリコンバレーではゴミを分別しないのか? 世界一IQが高い町の「壁なし」思考習慣』、『行動主義: レム・コールハース ドキュメント』『にほんの建築家: 伊東豊雄観察記』、訳書に『ソフトウェアの達人たち: 認知科学からのアプローチ(テリー・ウィノグラード編著)』などがある。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

仏で緊縮財政抗議で大規模スト、80万人参加か 学校

ワールド

中国国防相、「弱肉強食」による分断回避へ世界的な結

ワールド

アングル:9月株安の経験則に変調、短期筋に買い余力

ビジネス

ロシュ、米バイオ企業を最大35億ドルで買収へ 肝臓
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「日本を見習え!」米セブンイレブンが刷新を発表、日本では定番商品「天国のようなアレ」を販売へ
  • 2
    燃え上がる「ロシア最大級の製油所」...ウクライナ軍、夜間に大規模ドローン攻撃 国境から約1300キロ
  • 3
    中国は「アメリカなしでも繁栄できる」と豪語するが...最新経済統計が示す、中国の「虚勢」の実態
  • 4
    1年で1000万人が死亡の可能性...迫る「スーパーバグ…
  • 5
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 6
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 7
    【クイズ】世界で最も「リラックスできる都市」が発…
  • 8
    中国山東省の住民が、「軍のミサイルが謎の物体を撃…
  • 9
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 10
    中国経済をむしばむ「内巻」現象とは?
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 3
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサイルが命中、米政府「機密扱い」の衝撃映像が公開に
  • 4
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 5
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 6
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 7
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    「なんて無駄」「空飛ぶ宮殿...」パリス・ヒルトン、…
  • 10
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 9
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 10
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story