コラム

カッダーフィの砂上の楼閣:アラブ民族主義体制はどこで間違ったか

2011年10月24日(月)12時09分

 カッダーフィが殺害されて、「アラブの春」の流れが見えてきた。

 民主化要求、社会経済的不満の表出は、どのアラブ諸国でも――というより、最近はむしろ全世界的に――共通に見られることだが、今のところそれが政権転覆まで至ったのは、転覆される政権が40-50年前に軍事クーデタで成立したアラブ民族主義政権の場合である。バハレーンなどの王政でも反政府デモが起きているが、国内外の思惑もあって(先進国が、湾岸産油国に多い王政は倒れてもらうと困る、と考えているのは確かだ)、成功していない。

 つまり、「アラブの春」は「アラブ民族主義体制の終焉」の方向に背中を押されている。「アラブの春」という、欧米ジャーナリズムが名づけた呼び名自体が、68年の「プラハの春」、つまり社会主義体制に反対する東欧の自由化の試みに擬えられていることを考えれば、この一連の流れのなかに、欧米社会は「独裁の原因にあるアラブ民族主義体制がとうとう雪崩のように崩れていく現象」を見ていることがわかる。

 社会主義圏の崩壊のときもそうなのだが、いったん自由化、民主化を求める「革命」が世界を席巻すると、その前にあった「革命」とそれが目指したものは「独裁」の汚名に包まれてしまって、すっかり忘れられてしまいがちだ。なぜ一世紀前にそこで共産主義革命が起きたのか、それに引かれてなぜアジア、アフリカ諸国が社会主義化したのか、ソ連がロシアになった今となっては誰も振り返ろうとしない。同様に、50-40年前にアラブ世界を席巻したアラブ民族主義になぜ人々は歓喜したのか、封建的で外国依存の王政を倒して成立したエジプトのナーセル政権や、イラクやシリアのバアス党が何故当時の若者を魅了したか、国際社会はもちろん、国内の若い世代もほとんど省みない。

 でも、それだと何故人々が一度熱狂的に支持したものがどのように風化していったのか、どのように民衆が支持を失ったのか、その反省が怠られることになる。リビアやエジプトで「民族独立、外国支配や封建制からの解放」としての「アラブ民族主義革命」が成立して50年を経て、その政権が、自分たちが喚起してきたのと同じような若者の熱気と解放感のなかで残酷に打ち倒されていくのは、何が間違ったからなのか。

 自らを「国父」と自負してきたカッザーフィの頭を最期によぎったのは、その思いだったに違いない。彼が「ジャマーヒリーヤ体制」という、独特の人民主義、反権威主義、直接民主主義を打ち立てたときには、今独裁に立ち向かう若者たちと同じように、理想と自由と豊かな共同体の建設を希求していたはずだからだ。

 なので、独裁者個人の死にばかり光を当てるジャーナリズムには、いい加減うんざりする。独裁者がどんなに無残に殺されたかというスキャンダラスな興味は、事の本質ではない。解放と変化を夢見て生まれたひとつの体制が終焉を告げるのは、人が一人死ぬことによってではないからだ。どこで、なにが過去の「革命」を歪めたかを分析する視角をもたないと、次の革命がどこで歪むか、読み間違うことになりますよ。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

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