コラム

ムバラクだって人間だから

2011年02月21日(月)10時00分

 エジプトでムバラク政権が崩壊するや、エジプト国内のメディアは、一斉に手の平を返したように、ムバラク政権の批判を始めたとか。それまで報道統制が厳しく、批判的な報道が許されなかったので、当然と言えば当然のことでしょう。

 とはいえ、そのことを皮肉交じりに書く欧米や日本のメディアに、果たしてその資格があるのか、懐疑的な気持ちになってしまいます。というのも、ムバラク大統領が実権を握っていた間、独裁者ぶりをきちんと報道した海外のメディアが少なかったからです。他人のことが言えるんですか、と皮肉のひとつも言いたくなります。

 ムバラク大統領が辞任すると、一転してムバラク叩きを始めるメディアの姿勢に、「なんだかなあ」という思いを捨てきれません。

 でも、一味違う報道もありました。本誌日本版2月23日号の「独裁者一家の知られざる肖像」は、人間ムバラクを垣間見せる出色の出来です。

 ムバラク前大統領は、チュニジアのベンアリ前大統領と同一視されて報道されますが、ベンアリ一族が「国の富をことごとく私物化しようとした」のに対して、ムバラクは、そんなことがなかったというのです。

「汚職はあったが、私の知る限り、大統領夫妻が私腹を肥やしていた事実はない。ムバラク一家は豪奢な暮らしをしていたわけではない」と、「カイロ駐在のある欧米の外交官」のコメントを紹介しています。これは、他のメディアでは出てこないコメントです。

 大統領になるという野心がまったくなかったムバラクですが、「75年のある日、当時の大統領アンワル・サダトから大統領府に呼び出された」ことで、ムバラクの人生は一変します。彼は副大統領になるように命じられたのです。

 そして81年。サダト大統領が暗殺されたことで、ムバラクは、予期せずに大統領になってしまうのです。

 一方、妻のスザンヌは、夫が副大統領の頃から社会活動家としての活動を始めます。「夫の10倍は聡明」だという知人の言葉を本誌は伝えます。

 しかし、やがてスザンヌはエジプトに「ムバラク王朝」を築こうという野望が芽生えたというのです。

 野心あふれる妻の影響で、夫は独裁者に......。なんだかフィリピンのマルコス大統領夫妻を思い出してしまいます。独裁者になる経路には、ある特徴があるのでしょうか。

 しかし、ムバラクに人生の落日が近づきます。2009年5月、ムバラクが溺愛していた12歳の孫(長男の息子)が病死。ムバラクは憔悴しきり、「大統領の目の輝きが失われていたという」。

 にもかかわらず、ムバラクは大統領に留まりました。もしこのとき政界を引退していたら、ムバラクは国を発展させた英雄として歴史に刻まれたでしょうに。

 ムバラクの次男ガマルは、父親の下で帝王学を学びましたが、「ガマルには政治家の資質が欠けていた」。ムバラク一家を取り巻く財界人たちは、視野の狭いエリートばかり。民衆の不満・怒りを知ることはありませんでした。「ムバラク一家の長過ぎたドラマに幕が引かれた」のです。

 長過ぎるドラマには不満が募る。それは政治の世界も同じです。

プロフィール

池上彰

ジャーナリスト、東京工業大学リベラルアーツセンター教授。1950年長野県松本市生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHKに入局。32年間、報道記者として活躍する。94年から11年間放送された『週刊こどもニュース』のお父さん役で人気に。『14歳からの世界金融危機。』(マガジンハウス)、『そうだったのか!現代史』(集英社)など著書多数。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

中国外相「日本が軍事的に脅かしている」、独外相との

ワールド

焦点:米政権の燃費基準緩和、車両価格低下はガソリン

ワールド

中国首相「関税の影響ますます明白に」、世界経済に影

ワールド

米とグリーンランド、「相互の尊重」を約束 米大使が
MAGAZINE
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
2025年12月16日号(12/ 9発売)

45年前、「20世紀のアイコン」に銃弾を浴びせた男が日本人ジャーナリストに刑務所で語った動機とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だから日本では解決が遠い
  • 2
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価に与える影響と、サンリオ自社株買いの狙い
  • 3
    キャサリン妃を睨む「嫉妬の目」の主はメーガン妃...かつて偶然、撮影されていた「緊張の瞬間」
  • 4
    ホテルの部屋に残っていた「嫌すぎる行為」の証拠...…
  • 5
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 6
    人生の忙しさの9割はムダ...ひろゆきが語る「休む勇…
  • 7
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺…
  • 8
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 9
    中国の著名エコノミストが警告、過度の景気刺激が「…
  • 10
    「1匹いたら数千匹近くに...」飲もうとしたコップの…
  • 1
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 2
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価に与える影響と、サンリオ自社株買いの狙い
  • 3
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だから日本では解決が遠い
  • 4
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 5
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺…
  • 6
    ホテルの部屋に残っていた「嫌すぎる行為」の証拠...…
  • 7
    キャサリン妃を睨む「嫉妬の目」の主はメーガン妃...…
  • 8
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%…
  • 9
    人生の忙しさの9割はムダ...ひろゆきが語る「休む勇…
  • 10
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させ…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 4
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 7
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 8
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 9
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 10
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story