コラム

尖閣諸島や竹島の問題は「法の支配」で解決できるのか

2012年09月28日(金)14時09分

 野田首相はニューヨークで開かれた国連総会に出席して「世界の平和と安定、繁栄の基礎となる法の支配は紛争の予防と平和的解決のため不可欠であり、一層強化すべきだ」と演説し、領土紛争を国際司法裁判所(ICJ)で解決することを提唱した。国名はあげていないが、これは日本がICJに提訴する方針を表明している竹島の領有権問題のことだろう。

 法の支配(rule of law)というのは、国家権力が法に従うという近代国家の原則だ。この場合の法とは憲法を意味するというのが通常の解釈だが、広い意味では慣習法や自然法とも解釈できる。恣意的な国家権力の行使を許さず、法によって国家を拘束する英米法の概念だが、最近では法治国家の普遍的な原則と考えられている。

 しかし国際社会に、法の支配はあるのだろうか。たとえば2010年の事件のように、中国の漁船が尖閣諸島の周囲の領海に侵入して、海上保安部がその船を拿捕して船員を拘束したとしよう。海保がそれを日本の裁判所に送ると、中国は「尖閣諸島は中国の領土だから船員を釈放しろ」と要求するだろう。この国家間の紛争を日本がICJに提訴したら、どうなるだろうか。

 ICJの審理は当事国が双方とも出てこないと始まらないので、中国は自国に不利だと思ったら審理に応じないだろう。これは竹島問題で今、韓国がとっているのと同じ態度だ。野田首相は、こういう事態をなくすためにICJの審理に応じることを義務づける「強制管轄権」をすべての国が受け入れるべきだと主張したが、それを強制することはできない。

 かりに中国がICJの審理に応じて「尖閣諸島は日本の領土だから中国の要求は却下する」という判決が出たとしても、中国はそれに従う義務はない。それに対して日本が「国際法違反だ」といっても意味がない。国際法は、それを強制する暴力装置のない紳士協定に過ぎないからだ。

 これが国内の犯罪と違う点だ。国内では犯罪者が禁固刑の判決を拒否しても、警察が彼を拘束することができる。この場合は暴力を行使する必要があるが、それは法的に認められている。この点が国内犯罪と国際犯罪の決定的な違いである。つまり法の支配が成立するのは、国家が暴力装置を独占してそれを合法的に行使できる場合に限られるのだ。

 このように国家権力が他からの制約を受けないことを主権(sovereignty)と呼ぶ。国連もICJも国家主権は侵害できないので、国際社会では原理的に法の支配はありえないのだ。現に北朝鮮は、国連決議で禁止されても核実験を行なっている。ICJのロザリン・ヒギンズ所長も次のように認めている。


[法の支配は]国内法にあてはまる定義であり、例えば国連安保理の決定に対して、常任理事国が拒否権を持つ現実などを考えたとき、国際政治や国際社会においては、法の支配や法の下の平等というルールを一律に適用することは難しい


 領土問題も、究極的には戦争で解決するしかない。もちろん尖閣諸島ぐらいのことで戦争するのは費用対効果が見合わないので、中国も実際に戦争を始めることはないだろう。しかし中国の農村部では日常的に暴動が発生しているといわれており、そういう不満をナショナリズムで「ガス抜き」するために領土問題を利用することは、これからも十分ありうる。

 それを防ぐのは国際法でもICJでもなく、軍事的な優位である。中国が軍事的な冒険に出た場合には、在日米軍と自衛隊が出動できるということが最終的な領有権の担保なのだ。もちろん国際社会で法の支配が実現することは望ましいが、それは現状では見果てぬ夢である。だから中国の軍事的プレゼンスの上がってきた今、日本は国連や国際法に幻想を抱かないで自衛隊や日米同盟を強化するしかない。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

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