「女性首相」の役割は終わった? いま問われるのは、高市早苗の政治手腕だ
LITTLE GIRLS’ DREAMS
「女性首相」の象徴を超えられるか EUGENE HOSHIKOーPOOLーREUTERS
<「憲政史上初」の肩書は象徴を超えて、女性だからという色眼鏡も言い訳も否定する>
▼目次
政治手腕を正当に問われる
「アメリカの高市早苗」たちが変えた「認識」
高市早苗の歴史的な業績は、既におおむね成し遂げられた。日本の憲政史上初の女性首相という事実が、彼女の具体的な政策が日本のフェミニズムの課題と相いれないものであっても、首相として失敗あるいは短命に終わったとしても、日本の社会における女性の役割について長期的な意識の変化をもたらすのだ。
高市は、国際的な圧力が歴史的に変化していることや、国内でナショナリスト的右派が存在感を強めていることについて、自由民主党が苦慮している局面で政権を担う。
もっとも、これらの課題は通常の政治の領域だ。彼女が残すことになるレガシーは、日本人が政治的な成功や失敗を評価する際に、性別を次第に無関係なものと見なすようになることだ。たとえ首相として従来の意味で成功しなかったとしても、高市は既に、日本の政治生活や社会において何が普通であり、何が想像可能かという認識を変え始めている。
高市の仕事は、政策を立案して日本を率いることだ。日本の外から見れば、評論家が口をそろえて言うとおり、有能ではあるが主流派の保守的な自民党政治家であり、彼女が師と仰ぐ安倍晋三の後継者と映る。
高市がアベノミクスの「三本の矢」、積極財政、金融緩和、構造改革を支持していることは、国外では一定の評価を受けている。少なくとも言葉の上では日本経済に構造的な変革を促し、活力のある成長を創出しようとしているからだ。
ただし、日本の消費者物価指数は前年比2.9%の上昇、食料品価格の上昇率は8%近くに達している。金融緩和による過度な刺激でインフレを加速させないことが課題だ。
白鹿にまたがる日本神話の神タケミカヅチノミコトは、浅はかな迎合を見抜くという。もっともこの武神は、台頭する右派的ナショナリズムを受け流すために自民党が高市を選んだことも承知していて、彼女が突然「奈良の鹿を守る」と熱弁を振るったことにも苦笑しているかもしれない。





