「おいしいものは口福を運ぶ」 パリ初の松花堂弁当専門店オーナーが語る新境地

コロナ禍と家賃高騰、人手不足――新たな道への決断
松花堂弁当コースは串揚げよりも作業が細かく、献立作りにもより時間がかかるが、鵜飼さんは「すごく楽しいです」と声をはずませる。
鵜飼さんは子どもの頃から調理や料理に興味があり、飲食店でのアルバイトにも励んだ。20代の頃には伯父が長年支配人を務めていたタイのバンコクの高級料亭であらゆる業務を手伝い、日本から来ていた超一流料理人たちの仕事を間近で見たり、調理も経験した。日本に戻り、小さな料亭で修業を積み、パリの本格的な和食の店「円 YEN」で働く誘いを受けて渡仏した経歴をもつ。その後、1人で旗揚げしたパリ初の串揚げ店(席数30)はずっと好調だったものの、別の料理を提供する店を作るアイデアが少しずつ芽生えていった。
最大のきっかけは、2020年に始まったコロナ禍だったと鵜飼さんは振り返る。
「パリはロックダウンが実施されて、店を開けられない事態になりました。従業員の給料は保証されたのですが、最初の予定では経営者に対して一切保証がなく、少ない売上金から経費を払っていました。危機感が募り、持ち帰りのお弁当を売ろうと思ったのですが、店内の飲食とは営業形態が違うのでとても迷ったんです。例えば弁当箱は数百個単位でのまとめ買いが必要です。お弁当を始めてすぐにロックダウンが終わる可能性もあって、損するリスクがありました。結局、出費を工夫することで作ったのが、他の店にはなかった松花堂弁当風の贅沢なお弁当でした。それがとても好評で、店が通常の営業に戻ってから、あのお弁当はよかった、また食べたいという声をたくさんいただいたのです」
家賃の上昇も店じまいする一因となった。パリでは3、6、9年契約が多く、更新時に大幅な値上げが要求される。開店18年が経とうとしていた串揚げ店も例外ではなかった。光熱費も驚くほど高くなり、食材の値も上がり、もっと小さい店にしようと考えたという。
また、調理補助や給仕を確保することも難しくなっていた。日本人の留学生が相当減り、どの店も人手の確保に四苦八苦していた。小さい店なら自分だけで、または妻や子どもたちに助けてもらって続けられると考えた。
もう1つの大きな理由は自身の健康維持だった。夜営業の串揚げ店では就寝が深夜2時半という生活だったが、鵜飼さんは本来朝型人間で、体に馴染まないという感覚が常にあったという。
「自分が作った和食をたくさんの方たちに食べていただけることに、やはり喜びを感じます。自営業に定年はないので、できる限り長く働くことを考えて、朝型に切り替えるなら今がチャンスだと思いました。新しい生活リズムになって、すこぶる快調です」






