コラム

なぜ「構造改革論」が消えたのか

2018年06月02日(土)10時00分

「小泉・竹中流構造改革路線」なる過大評価

しばしば勘違いされていたのであるが、上掲『構造改革論の誤解』の狙いは、構造改革と呼ばれている個々の政策の批判にあったわけではない。本書の批判の対象はあくまでも、「日本経済の低迷の原因は構造問題にあるのだから、必要なのは構造改革であり、マクロ経済政策ではない」といったような構造改革主義にあった。

この種の観念的構造改革論の問題点の一つは、それが具体的にどのような政策を意図しているのかがまったく明確でないことにあった。以下はやはり『構造改革論の誤解』からの引用である。


 森政権の末期のことであるが、あるテレビ局の番組で、以下のような「事件」があった。その番組とは、景気優先論者として有名な自民党の亀井静香氏を囲んで行われた経済討論番組であった。その討論の途上で、かねてから金融緩和政策や財政政策を批判して構造改革を唱えてきた一人のエコノミストは、亀井氏に向かって、「なぜ政府は小手先の景気対策ばかりで抜本的な構造改革をやろうとしないのか」と、語気鋭く迫った。それに対して亀井氏は、「それでは、あなたのいう構造改革とはいったい何なのか」と切って返したのである。このエコノミストは、結局それに何も答えることはできなかった(野口・田中『構造改革論の誤解』p.47)。

当時はこのように、「抜本的な構造改革」というスローガンが、経済政策に関連して頻繁に語られていた。しかし、このマジックワードの内実は、多くの場合、かように曖昧模糊としたものだったのである。おそらく同じことは、アベノミクス批判としてよく目にする「金融政策=第一の矢や財政政策=第二の矢は時間稼ぎの政策にすぎず、成長戦略=第三の矢こそが本丸」といった近年の議論についても当てはまる。

構造改革主義の持つそうした問題点は、あの小泉純一郎「構造改革」政権が実際に何を行ったのかを吟味すれば、より一層明確になる。2001年に成立した小泉政権は、「構造改革なくして景気回復なし」をスローガンに掲げ、当時の反公共事業の時流に乗って、一大構造改革ブームを巻き起こした。

しかし、その政権が5年あまりの間に行った「構造改革」といえば、具体的には道路公団と郵政の民営化に尽きている。それらの制度改革は確かに一定の必要性と必然性を持つものではあったが、日本経済全体への影響という点では、大海に投げた小石といった程度のものであろう。

経済論壇の一部では現在でも、「小泉・竹中流構造改革路線」と名指しするような、市場原理主義批判の観点からの構造改革批判が散見される。確かに、小泉「構造改革」政権を象徴する存在であった竹中平蔵氏が、政策思想的には新自由主義ときわめて親和的であったことは、労働法制に関する氏の近年の発言等からも明らかである。

しかし、その政権が実際に行った政策それ自体は、アメリカのレーガン改革やイギリスのサッチャー改革はもとより、国鉄民営化等を推し進めた1980年代の中曽根政権下での改革と比較しても、「抜本的」であったとは言い難い。その意味では、「小泉・竹中流構造改革路線」という言い方それ自体が、その影響をあまりにも過大評価したもののように思われるのである。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ロシア中銀、年内追加利下げ「既定路線」にあらず デ

ワールド

ニュージーランド、近年で最も厳しい安全保障環境に直

ワールド

再送台湾防衛費GDP比3%超、26年度予算 中国威

ワールド

エアバスの英従業員、賃金改善求めて10日間のストラ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:台湾有事 そのとき世界は、日本は
特集:台湾有事 そのとき世界は、日本は
2025年8月26日号(8/19発売)

中国の圧力とアメリカの「変心」に危機感。東アジア最大のリスクを考える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家のプールを占拠する「巨大な黒いシルエット」にネット戦慄
  • 2
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人」だった...母親によるビフォーアフター画像にSNS驚愕
  • 3
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自然に近い」と開発企業
  • 4
    20代で「統合失調症」と診断された女性...「自分は精…
  • 5
    夏の終わりに襲い掛かる「8月病」...心理学のプロが…
  • 6
    広大な駐車場が一面、墓場に...ヨーロッパの山火事、…
  • 7
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医…
  • 8
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 9
    頭部から「黒い触手のような角」が生えたウサギ、コ…
  • 10
    習近平「失脚説」は本当なのか?──「2つのテスト」で…
  • 1
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 2
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに感染、最悪の場合死亡も
  • 3
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...「就学前後」に気を付けるべきポイント
  • 4
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 5
    頭部から「黒い触手のような角」が生えたウサギ、コ…
  • 6
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
  • 7
    「笑い声が止まらん...」証明写真でエイリアン化して…
  • 8
    【クイズ】次のうち、「海軍の規模」で世界トップ5に…
  • 9
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自…
  • 10
    「長女の苦しみ」は大人になってからも...心理学者が…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 7
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 8
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 9
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
  • 10
    イラン人は原爆資料館で大泣きする...日本人が忘れた…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story