強制収容の過ちをアメリカに認めさせた日系人がいた

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<太平洋戦争時、米政府に「忠誠登録」に署名するよう求められ、ジム・タニモトは拒否した>
当時19歳の日系アメリカ人、ジム・タニモトが歴史の渦にのみ込まれたのは1942年7月9日。
この日、米政府はタニモト一家に20ヘクタールの農場を退去し、カリフォルニア州北部の砂漠にあるトゥールレイク収容所に向かえと命じた。
その5カ月前、フランクリン・ルーズベルト米大統領は、対日戦争の継続中は日本人と日系アメリカ人を収容所に送る大統領令に署名していた。12万人の収容者のほとんどが、住居も生計手段も貯金も失った。
収容所で米政府は、アメリカへの忠誠を証明する「忠誠登録」に署名するよう求めた。その27番目と28番目の質問では米軍に入隊して日本と戦うこと、昭和天皇への忠誠を捨てることが要求された。
タニモトは憤慨した。
「自分はアメリカ市民だ。なぜ自分の憲法上の権利が剝奪されたのか。その質問は侮辱的だ」
彼と35人の仲間は何年もの収監を覚悟して署名を拒否し、そしてアメリカの良心の歴史的担い手になった。
彼は収容所に2年間入れられ、1944年に解放された。故郷の町で彼を待っていたのは「ネズミのジャップは出ていけ」という落書きだった。
米政府が過ちを認めたのは44年後のことだ。ロナルド・レーガン大統領は1988年、戦時中の強制収容に対する賠償を承認し、正式に謝罪した。
タニモトはカリフォルニアで生まれたアメリカ市民だが、日本との強い文化的・家族的紐帯を自覚している。戦後、父親と広島で原爆投下に遭った親戚を訪れたこともある。
現在98歳のタニモトは、これまで30以上の学校で数千人の学生たちに戦時中の経験を語り、その教訓を伝えてきた。
「『そんなこと(強制収容)はアメリカではあり得ない』と人々は言うが、私は経験した」と、彼は言う。「それは今も起きているし、間違いなく今後もまた起きる」
日本にルーツを持つタニモトの闘いに、今ではアメリカ社会が敬意を払っている。
Jim Tanimoto
ジム・タニモト
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