原発と「戦争」...福島県飯館村で震災後、102歳の農民が「死」を選んだのはなぜか
「もしもあのとき」は誰の人生にも起こり得ること
そのちょうど1カ月前に、東日本大震災が発生していた。
ご存じのように、巨大津波が太平洋沿岸の各地を襲い、2万人を超える人々の命を奪った。さらには複数の原子炉がメルトダウン(炉心溶融)する福島第一原発の破滅的な事故も引き起こされた。
著者は「もしもあの出来事さえ起きていなければ、その後の運命も状況もまったく違うものになっていたはずなのに――」という一文を残している。
もちろん、「もしもあのとき」というのは誰の人生にも起こり得ることだ。しかし、事態が東日本大震災に関するものとなると、ことさら重たい意味を持つのではないだろうか。
長閑で「なにもない」けれど「豊かで美しい村」でもあった飯舘村の人びとにとってみれば、東日本大震災の発生からちょうど4日後――2011年の3月15日に起きた出来事はその最たるものにあたるのかもしれない。ましてやその出来事は、決して一個人の次元などにとどまらず、当時6000人以上暮らしていた村人すべての運命までをも完全に一変させてしまったのである。(78ページより)
じいちゃんは当初、それほど事態を深刻視するでもなく、どちらかといえば呑気な様子で過ごしていたという。自然とともに暮らしてきたからこそ、離れた場所で大きな事故があったといっても、さほど気にかからなかったのかもしれない。
一方の美江子さんは、末期がんを患った夫が震災後、新潟の病院に移送されたため、見舞いすら叶わない状況にあった。心配させるわけにいかないから、じいちゃんには悟られないように振る舞っていた。





