トラックに殺到する飢えた群衆を襲った「銃弾の雨」...虐殺の生存者が見た、ガザ民族浄化の現実
Voices From Behind the Wall
援助物資を調達しようとした多くの人々が銃撃で死傷した(24年1月) HOSSAM AZAMーREUTERS
<飢えを覚悟して食料を探しに出た父子が目撃したのは、援助トラックに群がった市民を襲う銃弾の雨だった。ガザで9回避難を強いられた市民の生々しい手記>
「壁の外」にいる我々は戦争のリアルを見ようとせず、「数」として捉えがちだ。しかし、戦場となっている場所には、どの死者にも名前や顔がある。
そのことを証明するため、線上にいる自分たちの声と主張を、悲しみと不屈の希望を10年前から発信しているガザの若者たちがいる。
彼らが克明につづった、戦争のリアルな「内側」を集めたアンソロジーの邦訳『〈ガザ〉を生きるパレスチナの若者たち10年の手記』(原書房)に収録された手記から抜粋。
ガザ戦争で最悪の日々が続き、今は誰もが援助物資を積んだトラックの到着を待ちわびている。トラックに近づくのは危険だが──なにしろイスラエル兵は群衆を見ると発砲したがる──私たちは飢えているし、覚悟はある。援助物資を求めて父と一緒に出かけるときは、家族全員が私たちの帰りを心配して待っていた。たとえ手ぶらだろうと、無事に帰れば喜んでくれた。食べるものが底をつき、空腹のまま寝床についた夜は数えきれない。
あの晩のことは鮮明に覚えている。2024年2月29日の水曜日のことだ。家にいる19人の子どものために、父と私は食料を求めて出かけることにした。ラマダン(断食月)が近づいていたから、断食が終わる日没後に食べるものを確保しておきたかった。ナツメヤシや豆、清潔な水、米だけでもよかった。
前日の夜10時に家を出た。その時間に外に出ているのは私たちだけかと思っていたが、通りは大勢の人であふれかえっていた。わずかでも食料を得られるなら、イスラエル兵が待ちかまえていても行くしかない。みんなそう思っていた。
援助物資のトラックがいつも到着する海沿いのアルラシード通りは、わが家から7~8キロ離れている。着いたときには疲れきっていた。通りは人で埋め尽くされ、食料を求めて進む蟻の隊列のようだった。疲労で眠りに落ちそうだったが、なんとか踏ん張って起きていた。援助トラックの到着を待つ間、イスラエルの狙撃兵の視界に入らないよう、建物の影に隠れて3時間ほど待った。
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