最新記事

イスラム文化

イスラム教のイードアルアドハーを「犠牲祭」と呼ばないで

2019年8月24日(土)14時00分
アルモーメン・アブドーラ(東海大学・大学院文学研究科教授、国際教育センター国際教育部門教授)

毎年、大人も子供もみんなイードアルアドハーが近づくのを心待ちにしている。これは日本の「早く来い来い、お正月」の心境である。家族や親戚と共に過ごし、お互いの絆を確かめ合う時期なのだ。

何年か前、私が取材をかねた帰郷でエジプトに到着した日は、ちょうどイードアルアドハーの前日だった。街の雰囲気は、私にとってまさに「懐かしい!」の一言だった。子供も大人もみんな手をつないで楽しそうに街を歩いていた。そのにぎやかな雰囲気に私も久しぶりにわくわくしてしまった。

街のいたるところに、動物園さながら羊たちの群れがいる。あちこちの肉屋はキラキラとしたモール、ライトなどで飾り付けし、華やいだ雰囲気である。肉屋がきらめいているなんて日本では想像できないだろう。肉を買い求める客が、きらびやかな精肉店の前に列をつくっていたその光景を見て、日本からの取材班の1人は「一体、何が始まるの? なぜ肉屋が飾られているの? アラブの人ってこんなにお肉を食べるの?」とびっくり仰天していた。

百聞は一見にしかず。取材班のメンバーと街の羊市場に行って、羊を買いに来た客に 「どんな肉を選んでいるのですか? 特別なものなのですか」と聞いてみた。すると、「預言者モハンマドのスンナ(言行録)に基づいて、条件を満たした羊(ウドゥヒヤ=捧げるもの)を選ぶのよ。犠牲物(この訳語を使うと怖いいじめの想像が浮かんでくる)を選ぶときは肉の質とかではなく、ちゃんとスンナが決めた条件を満たしたものじゃないといけないの。アッラーのために捧げるものですからね」と教えてくれた。

肉を買うために並んでいる中年の男性にも、「動物の犠牲を捧げる意味は何ですか」と聞いてみた。彼はこう言った。 「この祭りの目的は肉を食べることではありません。イードアルアドハーは、社会全体でやる社会福祉運動のようなものです。羊など犠牲を屠るのは恵まれない人たちや親族などに分け与えるためで、イスラムの精神はまさしくそこにあるのです。恵まれない人に食べ物を分け与え、互いの気持ちをつなぎ、みんな幸せになり、家族や親戚との絆もより強くなるのです。互いを思いやることこそがイスラムなのです」

一生懸命に話す、彼らの言葉に胸が打たれた。形式だけが残る祭りもあるけれど、イードアルアドハーの精神は今でも人々の心に息づいている。食べ物を貧しい人とも分かち合い、共に生きていることを再確認できるのだ。私はそのことに感銘を覚えた。イスラムが大切にするこの精神を市場に立ってかみしめながら、私は久しぶりのイードアルアドハーを思いきり楽しんだ。この原稿を書いていても、その時の楽しかったイードアルアドハーの雰囲気や、街の人たちの話す声、ジュージュー焼いた羊の香ばしい匂いを思い出して、真夜中なのに何だか遊びにでも出掛けたくなってしまった。

「外国人に、イードアルアドハーなんて理解できないだろう」と決め付けているアラブ人も少なくない。だからこのような先入観を覆すような発言や行動をすると、それだけでアラブ人のハートをつかめる。

例えば、さりげなくアラビア語で「イード・ムバーラク」と挨拶してみよう。これは「祝福された祭りを」の意で、この種の祭りのときによく交わし合う決まりのあいさつ言葉。その返事も、「イード・ムバーラク」と返される。

次のような内容のコメントも好印象だ。「助け合うのは本当に素晴らしいことですね」「イードアルアドハーでは具体的な行動で人々がつながることの大切さを、改めて感じますね」

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

岸田首相、「グローバルサウスと連携」 外遊の成果強

ビジネス

アングル:閑古鳥鳴く香港の商店、観光客減と本土への

ビジネス

アングル:中国減速、高級大手は内製化 岐路に立つイ

ワールド

米、原発燃料で「脱ロシア依存」 国内生産体制整備へ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが...... 今も厳しい差別、雇用許可制20年目の韓国

  • 2

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 3

    こ、この顔は...コートニー・カーダシアンの息子、元カレ「超スター歌手」に激似で「もしや父親は...」と話題に

  • 4

    翼が生えた「天使」のような形に、トゲだらけの体表.…

  • 5

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 6

    単独取材:岸田首相、本誌に語ったGDP「4位転落」日…

  • 7

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 8

    ウクライナがモスクワの空港で「放火」工作を実行す…

  • 9

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 10

    マフィアに狙われたオランダ王女が「スペイン極秘留…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる4択クイズ

  • 3

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 4

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 5

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 6

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 7

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 8

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 9

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 10

    メーガン妃の「限定いちごジャム」を贈られた「問題…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

  • 10

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中