「デューン 砂の惑星PART2」の続編としての見事な成功と、見終わった後に沸き上がる「ある感情」
Exploring the “Duniverse”
ハルコンネン家の故郷の惑星で行われる古代ローマ時代のような闘技会は、レニ・リーフェンシュタール監督によるナチスの記録映画を想起させる。あり得ないほど広大で幾何学的な闘技場で命懸けの戦いが繰り広げられるなか、白亜色の空に黒い花火がインクの染みのように炸裂する。
共同で脚本を手がけたビルヌーブとジョン・スペイツは、並行する物語軸をうまくペース配分している。ただし、ストーリーが大きく動く舞台は、アラキスの砂漠だ。ポールは第1部で自身の夢に断片的に登場していたフレメンの戦士、チャニ(ゼンデイヤ)と共にハルコンネン家と戦い、2人はやがて恋に落ちる。
『スター・ウォーズ』シリーズのルーク・スカイウォーカーと同じく、未熟な若者のポールは古くからの「預言」に導かれ、宇宙戦争で重大な役割を果たすことになる。だが、孤児でよそ者のルークと異なり、特権階級に生まれたポールは幼い頃から統治者になるべく教育されてきた。
少年時代のポールを違和感なく演じる28歳のシャラメもまた、この役のために生まれてきたかのようだ。彼は、暗い面に踏み込むべき役柄に説得力を持たせられないと批判されがちだ。そのいい例が、人間嫌いのウィリー・ウォンカの若き日を無邪気に演じた『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』だ。
だが『君の名前で僕を呼んで』のように役とうまくかみ合ったときには、シャラメ以外が演じることなど想像できなくなる。ポールとしてのシャラメは、ためらうことなく自らの暗部と向き合っている。
「救世主」をめぐる問い
1965年にシリーズ第1作が発表された原作小説は、数々の試みにもかかわらず、長らく映像化不可能とされてきた。原作を読んでいない筆者は映画版(異才監督アレハンドロ・ホドロフスキーが、映画化に失敗した過程を描くドキュメンタリーを含む)を全て見ただけだが、原作の独自性をスクリーンで完全に再現するのは無理だとファンが口をそろえるのは理解できる。
それでもビルヌーブ版は、独自の「デュニバース」という宇宙が持つ重要な要素を効果的に伝えている。例えば、壮大な世界観や独裁についての真剣な考察、宗教運動の危険性、孤高の(ほぼ常に白人で、男性の)ヒーローが運命によって、抑圧された(大抵は非白人の)人々の救世主になるという定型の拒否だ。