コラム

激動の中国、一人っ子政策に翻弄される夫婦の30年『在りし日の歌』

2020年04月02日(木)15時45分

一人っ子政策に影響を受けた人々の対極の立場を象徴している

ワン監督は以前の作品『我らが愛にゆれる時』(08)でも、一人っ子政策を題材にしている。前夫との間にできた娘が白血病と宣告され、骨髄移植が必要だと知らされた母親は、前夫に連絡し、移植の適合検査を受けるが、二人とも一致しない。切羽詰まった母親は、人工授精でもう一人子供をもうけ、臍帯血移植で娘を救おうと考える。だが、母親も前夫もすでに再婚していて、産児制限があるため、母親が第二子を産むと、前夫の現在の妻は子供を持つことができなくなる。二組の夫婦は難しい決断を迫られていく。

この旧作と本作には、二組の夫婦や家族だけでなく、登場人物たちの複雑な葛藤に通じるものがある。本作は、旧作で扱った一人っ子政策の問題を、歴史的な視点から掘り下げる作品と見ることもできるだろう。

そこで筆者が思い出すのは、中国系アメリカ人のジャーナリスト、メイ・フォンが書いた『中国「絶望」家族 「一人っ子政策」は中国をどう変えたか』のことだ。本書の内容を踏まえると、本作に登場する二組の家族は、一人っ子政策に影響を受けた人々の対極の立場を象徴しているように思えてくる。

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『中国「絶望」家族 「一人っ子政策」は中国をどう変えたか』メイ・フォン 小谷まさ代訳(草思社、2017年)


ヤオジュンとリーユン夫妻については、「失独」というキーワードを頭に入れておくべきだろう。これは、たった一人の子供を失った両親を表す言葉だ。四川大地震によって一人っ子政策がもたらした悲劇が、衝撃的なかたちで表面化し、この言葉が広まるようになった。2014年までに推定100万人が失独となり、さらに毎年7万6000世帯ずつ増加している。

中国では、独身者や子供のいない家庭は、社会的に非常に低く扱われる。跡継ぎがいないと、老人ホームに入るにも、墓地を買うにも苦労する。失独となった親たちは、近所の人々や友人たちに孫がいるのを見て辛い思いをするだけではない。社会的落伍者になってしまったような気持ちになる。鬱に陥りやすいことも研究で明らかになっているという。

息子を亡くしたヤオジュンとリーユンは、住み慣れた故郷を捨て、親しい友人たちと別れ、自分たちのことを誰も知らず、生活の習慣も違い、言葉も分からない寂れた漁港に移り住む。リーユンはそんな土地での生活を「時間は止まった。残りの人生はゆっくり年を取るだけ」と表現する。

繁栄のなかで市民が国策に翻弄されていく中国の現実

一方、インミンとハイイエン夫妻については、ハイイエンが、避妊手術や妊娠中絶を強要するような計画生育行政組織の指導員を務めていたことが、まさに対極の立場になるが、それだけではない。

ここで注目したいのは、一人っ子政策と経済、改革開放政策との関係だ。前掲書では、国民一人当たりのGDPを手っ取り早く上げるためには、生産性を上げることよりも、人口増加を抑制するほうがはるかに容易だったという指摘につづいて、以下のように綴られている。


「鄧小平は、二〇〇〇年までに国民一人当たりのGDPをその当時の四倍の一〇〇〇ドルにするという目標を立てた。その裏で人口計画発案者らは、子供を二人とする現行の政策ではこの目標は達成できないと算出し、全世帯を一人っ子とするよう、規制の強化が必要だとした。突きつめると、一人っ子政策が導入されたのはこうした理由からだった。この机上の経済目標が、莫大な数の人生を左右することになったのである」

悲劇で時間が止まってしまったヤオジュンとリーユンは、他の労働者のように発展著しい深圳や広州に向かおうとはしなかった。インミンは、リストラが始まる前に工場を辞めて独立し、やがて不動産会社の経営者として成功を収める。そんな明と暗を象徴するような家族が終盤で再び交わる。

二組の家族の物語からは、繁栄のなかで市民が国策に翻弄されていく中国の現実が見えてくる。それは現在の中国にも当てはめることができる。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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