コラム

外食怖い

2011年10月10日(月)07時00分

「もう外食は怖いよ」。いつもは泰然としている、ある文化人と一緒に夕食を取る約束に出向いたら、彼は現れるなりこう言った。彼や彼の周囲の友人とはよく中国の暗い部分の話をするが、こんなに暗い顔をしている彼は初めてだった。

 きっかけは9月中旬に明らかになった、有名四川料理チェーン「俏江南」の南京店で再生油が使われていたというニュースだ。中国語で「地溝油」と呼ばれる再生油の再利用問題は、昨年初めに中国の政府系メディアが大々的に報道して撲滅キャンペーンを張ったことが日本でも「下水油事件」として報道されたので、ご記憶の方も多いはずだろう。

 もちろん、彼も昨年のニュースは知っているし、顔をしかめていた。しかし、今回名指しされたのが全国で支店展開する大型店舗で、また経営者が超有名芸術家の作品をオークションで競り落として有名になったり、他にも社会エリートに人気のクラブを運営する社会的地位のある人物なので、周囲に食通として知られる彼も「この店は信用できる」と判断してたびたび通っており、「もう何も信じられない」と絶望的な気分なのだと言う。

 今回の報道によると、この店では四川料理の名物「水煮魚」で使った油を「職員の賄い料理に使っていた」(店側の釈明)そうだ。「水煮魚」とは薄く切った、生の白身魚に、唐辛子がどっさり入ったぐらぐら煮えたぎる油をかけ、テーブルに運ばれる頃には火が通った魚を食べるという料理だ。

 実はわたしも四川出身の友人に勧められて以来、皆が箸をつける前に引き上げられる唐辛子をよく持ち帰って野菜炒めに使っているが、テーブルの客たちは直接箸で油の中に沈んだ魚をさらう。そして食べ終わった洗面器のような皿にはたっぷりと油だけが残るのだが、その油を料理に使っている店も多いという噂は以前からわたしも耳にしていた。その噂を口にする人もいつも自分だってその油に「当たるも八卦、当たらぬも...」的な言い方をしていたのに、それにしてもあんな高級有名店までが......だからこそ、今回の暴露は多くの「自衛していたつもり」の人たちに波紋を広げている。

「俏江南」の本店は件の支店が「フランチャイズ加盟店であり、再生油の再利用は加盟店側が勝手にやったことで本店が指定する全国統一の手法ではない」と繰り返し強調している。しかし、同店はどの支店でも同じメニューを出すし、そんな「台所事情」だけを「支店が勝手にやったこと」と主張しても信じる消費者はいない。特に中国ではなにか事件が起こるたびに「臨時職員が」「特別な事態が」などとトカゲのしっぽ切りが常態化していて、当事者が講釈を垂れれば垂れるほど、人々は「再生油が使われていたのは本当に職員向けの賄いだけだろうか」と疑問を抱く習慣が出来上がっている。

 でも実際に、食べる側にどれだけの「防衛策」があるだろう? 乳児向けミルクに有機化学物質メラミンが混入され、それを飲んだ乳児数万人が全国各地で原因不明の腎不全を患っていたのにメディア報道まで誰も大きな声をあげなかった。そして、事件発覚後、政府の監督責任と謝罪と補償を求め続けている被害者は逮捕されたり、拘束されている。

 今年2月には雑誌「新世紀」が「市場で販売されているコメの約10%にカドミウム汚染が見られる」という学者によるサンプル調査結果を発表して注目されたが、その後続報道は見られない。明らかに政府が規制をかけている。豚には「痩肉精」(赤身剤)と呼ばれる赤身肉を増やすとされる薬品が与えられているという話も、もう何年も前から報道されているが、今年再び報道されて大騒ぎになった。そこで摘発された加工肉製品ブランドは1カ月ほど生産停止処分を受けたが、出荷開始直後にスーパーに並んだ同ブランド製品の生産日が「生産停止期間」になっていたことを、わたし自身が自分の目で確認している。

 おかげで日本の粉ミルクが大人気だ。コメも上海などでは日本米が売れているという話も聞くし、有機野菜への注目も高まっている。ただ、メラミン騒ぎの直後に大々的に売り出した日本ブランドが中国国内の牧場で作っているという牛乳は高級スーパーはともかく、一般の庶民が集まるスーパーには並ばない。その価格が庶民が日常口にする牛乳の3倍以上するからだ。多くの人たちが出荷停止処分を受けたり、謝罪広告を一度出しただけの企業の「誠意」を信じて、日常生活を続けている。自衛できるのはお金を使えることのできる人たちだ。

 政府はなぜ長年、「安全食品提供」に本腰を入れないのか。そこには政府トップのためにつくられた御用農場の存在があると指摘する学者もいる。高いフェンスで守られ、守衛までついている御用農場の生産物で自衛を図るトップには、庶民の気持など分からない。そして、中央政府がそうならばと、地方政府もそれぞれ自分のための地方御用農場を作って自衛する現象も指摘されている。

 しかし、そのほかにも中国では各方面に見られる「成果主義」が大きく影響していると、わたしは思う。国全体が「終わりよければすべてよし」という意識で、農村や生産者、そして中間に携わる加工業者や代理業者も、収穫や収入が多ければ良いという「結果ありき」の価値観で動いている間は、消費者の顔の見えない市場経済は「無責任経済」の温床になる。「質より量を問う」の中国的な伝統観念の根深さがここにある。

 食品添加物について伝えるネット記事の後ろにこんなコメントが書きこまれていた。

「朝はメラミン入りの蒙牛ブランド牛乳に、下水油で揚げたパンと段ボール箱三つ分が詰まったバオズ、昼は残留農薬たっぷりのホウレンソウにベンゼン基準を越えたコーラ、イオウで漂白したマントウ、夜は避妊薬を使って急速成長させたタウナギにスーダンレッド入りのフライドチキン、アフラトキシン(カビ毒)B1が含有基準を超えたご飯にホルマリン入りのビール。中国人民の幸せな一日だ」

 そんなところに、昨年、地溝油事件を熱心に報道した河南省のテレビ局記者が刺殺されたというニュースが飛び込んできた。亡くなる前に発した、最後のマイクロブログの書き込みもある地方で行われているという地溝油生産に関わる情報で、「当局に問い合わせたが、まだ返事はない」とあり、彼の死は地溝油報道と関係があるというもっぱらの噂だ。

 冒頭の文化人は最近、これまでほとんどやらなかった自炊を始めたそうだ。それでもスーパーに並ぶ油が疑わしい。その日、わたしと彼は豚骨ラーメン屋で夕食を取った。彼は今や日本食レストランしか信じられないと言う。でも、地溝油を避けて豚骨スープばかりすする、そんな生活も健康的とはいえないのだが。

プロフィール

ふるまい よしこ

フリーランスライター。北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学んだ後、雑誌編集者を経てライターに。現在は北京を中心に、主に文化、芸術、庶民生活、日常のニュース、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説している。著書に『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)。
個人サイト:http://wanzee.seesaa.net
ツイッター:@furumai_yoshiko

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