最新記事
拉致

中国のホテルで「麻酔」を打たれ、体を「ギプスで固められた」美人タレントの悲劇...今も謎が残る拉致の真相

2024年5月9日(木)18時09分
高英起(デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト) ※デイリーNKジャパンより転載
ホテルから拉致された脱北タレント

elwynn/Shutterstock

<韓国で「脱北美女タレント」として活動していたイム・ジヒョンさんは突如、北朝鮮のプロパガンダ映像に登場して人々を驚かせた>

韓国政府は今月2日、東南アジア、中国、ロシアの5つの在外公館に注意を促すためテロ対策のレベルを「関心」から「警戒」へと2段階引き上げた。これらの地域で北朝鮮が韓国の大使館関係者や一般国民に対してテロを準備中との情報があるためだという。

■【写真・動画】痩せてイケメンになった金正恩

金正恩総書記の異母兄・金正男(キム・ジョンナム)氏がマレーシアのクアラルンプール国際空港で殺害された事件に見られるように、北朝鮮工作機関の作戦能力は決して侮ってはならないものだ。

ほかにも、韓国で「脱北美女」タレントとして活動していたイム・ジヒョンさん(本名=チョン・ヘソン)が突然消息を絶ったあと、2017年7月に北朝鮮の対外向けプロパガンダメディア「わが民族同士」に登場し、韓国社会を驚かせた事件があった。

彼女がいかにして北朝鮮に戻ったかは、未だミステリーのままだが、情報を総合すると、イムさんは2017年4月、中国遼寧省瀋陽の七宝山ホテルに入った。

このホテルは、表向き北朝鮮の国家保衛省(秘密警察)系列の貿易会社が運営していることになっているが、実際に運営しているのは海外反探局、つまりスパイ担当部署だ。

イムさんには、在留資格のために偽装結婚した中国人の夫がいたが、保衛省の関係者に抱き込まれた夫は、借金と離婚問題の解決に向けて書類の整理をしようとイムさんを呼び寄せた。そこで拉致が行われたようだという。

この北朝鮮の関係者は、保衛省がイムさんを拉致するため驚くべき手法を使ったと証言した。

保衛省の要員たちは麻酔を使ってイムさんの意識を失わせ、全身をギプスで固めて動けないようにした上で、第三者の北朝鮮パスポートを持たせ病人のふりをさせて丹東から北朝鮮に入国させたというものだ。

それにしても、北朝鮮はなぜイムさんを拉致したのだろうか。それには2つの理由がある。

ひとつは、2016年4月8日に起きた北朝鮮レストラン従業員13人の集団脱北事件だ。浙江省寧波市の「柳京食堂」で働いていた女性従業員12人と男性支配人が飛行機に乗って合法的に中国から出国し、わずか2日後の4月7日に韓国に到着したというのが事件のあらましだ。

(参考記事:美貌の北朝鮮ウェイトレス、ネットで人気爆発

北朝鮮当局は「かいらい一味(韓国政府)の集団的誘引・拉致蛮行」(2017年2月9日朝鮮中央通信)だとして、家族をメディアに出演させるなどして、執拗に女性従業員の送還を求めているが、韓国政府は黙殺している。

イムさんの拉致は、これに対する報復だとの味方があるのだ。

もうひとつの理由は、韓国社会に恐怖心を植え付けるたまだ。そのため、タレント活動でそこそこ知名度のあったイムさんをターゲットにした。実際、イムさんの帰国を受けて韓国国内の脱北者の間には恐怖が広がり、北朝鮮は目的を遂げた形となった。

ちなみに拉致対象者にギプスをするのは、北朝鮮がよく使う方法のようだ。

コンゴ駐在の北朝鮮大使館で一等書記官として勤務していた1991年5月に脱北し、現在は韓国の国家安保戦略研究院で副院長を務める高英煥(コ・ヨンファン)氏は、韓国のケーブルテレビ・チャンネルAに出演し、ギプスを使うのは保衛省の常套手段だとして、次のような目撃談を語った。

1989年、エチオピアに派遣されていた北朝鮮の園芸技術者が、逃亡を図ったが捕らえられた。当局は、彼に注射をして意識を朦朧とさせた上で、顔以外の全身にギプスをして交通事故で怪我をしたとの言い訳を並び立てて、モスクワ経由で北朝鮮に無理やり連れ帰った。

高氏は、ギプスで全身を固められ、秘密警察の要員に連行される男性を平壌の順安飛行場で見かけた。一緒にいた金永南(キム・ヨンナム)外相(当時)に「あれは誰か」と尋ねたところ、「園芸技術者だ」との答えが返ってきた。誰かがアフリカで脱北を図ったとの話は知っていたが、金氏の答えを聞き、その人物の運命を悟ったという。

(参考記事:北朝鮮の女子大生が拷問に耐えきれず選んだ道とは...

[筆者]
高英起(デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト)
北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)、『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)、『北朝鮮ポップスの世界』(共著、花伝社)など。近著に『脱北者が明かす北朝鮮』(宝島社)。

※当記事は「デイリーNKジャパン」からの転載記事です。

dailynklogo150.jpg



ニューズウィーク日本版 非婚化する世界
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年6月17日号(6月10日発売)は「非婚化する世界」特集。非婚化と少子化の波がアメリカやヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

核保有国の軍拡で世界は新たな脅威の時代に、国際平和

ワールド

米政権、スペースXとの契約見直し トランプ・マスク

ワールド

インド機墜落事故、米当局が現地調査 遺体身元確認作

ビジネス

日経平均は反発で寄り付く、円安で買い優勢 前週末の
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?...「がん」「栄養」との関係性を管理栄養士が語る
  • 2
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 3
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波でパニック...中国の輸出規制が直撃する「グローバル自動車産業」
  • 4
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 5
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 6
    メーガン妃とキャサリン妃は「2人で泣き崩れていた」…
  • 7
    若者に大不評の「あの絵文字」...30代以上にはお馴染…
  • 8
    さらばグレタよ...ガザ支援船の活動家、ガザに辿り着…
  • 9
    ハルキウに「ドローン」「ミサイル」「爆弾」の一斉…
  • 10
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 5
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 6
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 7
    今こそ「古典的な」ディズニープリンセスに戻るべき…
  • 8
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 9
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 10
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中