最新記事

チベット

ダライ・ラマは聖人にあらず

2010年3月25日(木)14時47分
クリスティーナ・ラーソン(フォーリン・ポリシー誌編集者)

中国と相いれない独特の慣習

 外見だけを見れば、チベットの若者世代はチベット的でないように見える。しかし、それも短絡的過ぎる。タシの考え方は、漢族の若者のそれとは異なっている。

 例えば彼は、改革開放を唱えて中国を現在の繁栄に導いた鴆小平の有名な言葉「金持ちになるのは栄誉なことだ」にほとんど関心を示さない。中国のさまざまな民族を1つにする上で、最も役立ちそうな理念だというのに。

 また彼と家族は人生の重要な決断をするとき、今もチベット僧に相談するという。最近では、タシの姉に求婚しているある兄弟2人と彼女が結婚すべきかどうかを相談した(チベットの慣習では、一定の条件下で1人の妻が複数の夫を持つことを認めている)。

 中国では仏教のさまざまな宗派が信仰されているが、当局から黙認されているものも少なくない。だがチベット仏教は、体制に取り込むことが困難だった。ウイグル人のイスラム教と同じように、チベット人は宗教指導者を自分たちの統治者と見なしており、中国政府の指導者と競合する。不動産の所有権から結婚の慣習に至る日常的な問題でも、いちいち火花が散ることになる。

 タシに誘われて、チベット人の結婚披露宴に行った。招待客はほとんどが20代。花嫁は伝統的な衣装を着ていたが、ほかはジーンズやパーカーなどカジュアルないでたちだ。彼らは大チベットの異なる省の出身だが、全員が自分は「チベット人」だと言った。

 花婿は青海省、花嫁は雲南省出身だ。チベット自治区の区都ラサから来た招待客は、都会の気取り屋とからかわれていた。チベット人の間では、ラサの人間は教育水準が高く華やかだが、ずる賢いと思われている。

 だがこうした区別は、彼らが全員チベット人だという事実の前にはほとんど意味をなくす。中国政府の懸念の1つは、600万人のチベット人が共有する民族意識の強さと柔軟性だ。若いチベット人はれっきとした現代っ子だが、今も中国の主流とは相いれないという意識を強烈に持っている。

勧善懲悪論では解決しない

 チベット人によれば、彼らが最も嫌悪しているのは次の3点。中国政府が、チベットに新たに流入してきた漢族のほうを優遇すること。チベット人の望みを、政府が勝手に決め付けること(例えば青海チベット鉄道の建設やその他の開発事業)。最後が、彼らの文化や宗教行為を制限することだ。 豊かなチベット人は、亡命チベット人の大規模なコミュニティーがあるインドに子供を留学させる。中国にいては、本当のチベット文化を学ぶのは不可能に近いという人もいた。

 若いチベット人は、必ずしも分離独立が必要だとは思わないと言う。いずれ体制側が何らかの譲歩を余儀なくされる、と考えている。

 こうした不満が頂点に達したのが、08年3月のラサ暴動。政治犯の釈放を求めるチベット僧の平和的デモ行進が警官隊に鎮圧され、続いて暴動が起こり、警官隊にもチベット人にも犠牲を出した。

 専門家の大半は、チベット人と非チベット人の間の所得や教育格差、そして宗教的な制限に対する長年の不満が暴動の背景にあったと言う。中国政府は、暴動は中国共産党幹部が「ダライ派」と呼ぶ集団が計画的に起こしたものだと根拠もなく主張している。残念なことに、大チベットの将来に関する率直な対話は行われていない。

 チベット問題は政治的にも領土的にも極めて重要で、解決の糸口は見えない。だが、チベットやダライ・ラマについて議論するときには常に核心をぼかす雰囲気が付きまとう。時は既に21世紀だというのに、西側にとってのチベットは、今も19世紀のロマンチシズムと憂いのオーラを発している。

 感傷は批判的思考の妨げになる。チベットの場合、ほとんど誰も見たことがない土地に私たちが抱く郷愁のせいで、議論は極度に単純化されたものになりがちだ。人生の大半は不明瞭で白黒つかないことばかりなのに、私たちの想像上のチベットにはけがれもなく、善悪の区別もはっきりしている。

 現実の世界がそんなに単純なら、誰も苦労はしない。

Reprinted with permission from www.ForeignPolicy.com, 3/2010. © 2010 by Washingtonpost.Newsweek Interactive, LLC.

[2010年3月 3日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

英中銀は8日に0.25%利下げへ、トランプ関税背景

ワールド

米副大統領、パキスタンに過激派対策要請 カシミール

ビジネス

トランプ自動車・部品関税、米で1台当たり1.2万ド

ワールド

ガザの子ども、支援妨害と攻撃で心身破壊 WHO幹部
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ウクライナ戦争は終わらない──ロシアを動かす「100年…
  • 5
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 6
    日々、「幸せを実感する」生活は、実はこんなに簡単…
  • 7
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新…
  • 8
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 9
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 10
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 8
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 9
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 10
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 9
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 10
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中