松本清張はなぜ「昭和の国民作家」に上り詰めたのか?...幼少期のエピソード・恋愛関係など、新資料が明かす「本格評伝」
azapf1972-pixabay
<「よごれ松」と呼ばれた印刷工が、昭和を代表する国民作家へと上り詰めた軌跡を新たな証言と資料で読み解く>
逆境を越えて時代をつかんだ松本清張の生涯を描く、初の本格評伝がついに刊行。気鋭の評論家・酒井信氏による話題作『松本清張の昭和』(講談社現代新書)の「はじめに」を抜粋・転載。
「人生には卒業学校欄というものはないのだよ」と、松本清張はエッセイ「学歴の克服」(1958年)で述べている。
清張は高等小学校卒業後、給仕を経て印刷画工として働き、戦前・戦後の困難な時代を生き抜き、41歳で作家としてデビューを果たした。デビュー当時は朝日新聞社に勤務していたが、彼は記者職ではなく、広告の版下を制作する印刷画工として働いていた。
朝日新聞西部本社時代の松本清張を知る元同僚の岡本健資(たけし)は、次のように回想している。
「彼は腰にぶら下げた汗臭いタオルで、汗まみれの顔をさも心地よさそうに拭(ぬぐ)った。/人は、彼のことを、『よごれ松』と呼んだ。小説を書くようになってからは、さすがに聞かれなかったが、ワイシャツの裾がズボンからはみ出していても、兵隊靴の爪先が開きかけていても、彼は平気だった」(「朝日新聞広告部時代 あのころの松本清張」)
清張は高等小学校卒の学歴と「よごれ松」と呼ばれる風貌で、朝日新聞社内でも無視されたり、机を離されるなどして冷遇されていたが、「小説を書く」ことで、一矢(いっし)報いたのである。
岡本は「よごれ松」と呼ばれた清張が、のちに大作家になったことに驚いて次のようにも述べている。
「外見など衒(てら)わない彼の図太い神経のどこから、あの緻密な心理描写が生まれてくるのか、私には不思議に思えた。/もうすこし、言わせてもらえば、心理描写にすぐれた作家は、他にも大勢いる。しかし、清張さんをして『日本の松本清張』に押しあげたその原動力は、なんといっても、彼の時代を視る鋭い先見性と、大胆なその行動力であろう」(同前)
弱い立場に置かれた人々の苦労を知る松本清張の「緻密な心理描写」と、社会の動きを見越す「鋭い先見性」と、次々と新しい作品を生み出す「大胆なその行動力」こそが、多くの読者を魅了したのである。






