「第一の祖国はステージ」──グーグーシュ、イラン革命に翻弄された歌姫の生涯
Refusing to Be Silenced
2000年に祖国を去り、50代で歌手活動を再開したグーグーシュ BRIAN OWEN SMITH
<1979年のイラン革命は、国民的歌手グーグーシュから歌う自由を奪った。投獄や尋問、活動禁止を経て20年に及ぶ沈黙を強いられた彼女は今、回想録を通じて自身の波乱の人生と、声を封じられた祖国の人々の物語を語り始めている。本誌政治・文化担当のマンディ・タヘリが話を聞いた>
▼目次
3歳から働き17歳で結婚
革命が強いた長い沈黙
故国の女性たちと連帯
「私にとって、第一の祖国はステージよ」
75歳のイラン人歌手グーグーシュは、そう言い切る。イランは「第二の祖国」だ。
革命以前のイランでヒット曲を連発し、同国の大衆音楽を代表する歌い手となった。二度と沈黙するまいと決意して2000年に祖国を去り、以来亡命生活を送っている。
「国際都市として発展しつつあったテヘランでも、子供がナイトクラブで歌えば眉をひそめられた」と回想録で書いたとおり、グーグーシュは幼い頃からステージに立った。
1979年にイラン革命が起こるまで20年余り、型破りなパフォーマンスと大胆なファッションでイランの人々を魅了。20代の半ばにはモハマド・レザ・パーレビ国王や各国外交官、セレブリティーの前で歌声を披露する国民的歌手になっていた。
「ポル(橋)」や「ドー・パンジェレー(2つの窓)」といったヒット曲を放ち、愛や憧れや世相を情感豊かに歌って国内外で愛された。
そんな日々を一変させたのが、革命とイラン・イスラム共和国の成立だった。抜群の知名度を誇り、若い女性でありながら人前で歌い演技をするグーグーシュは、たちまち当局に目を付けられた。
前国王との交流もあだとなった。初期の曲に政治色はほとんど見られないが、それでも投獄され、尋問を受け、財産を没収され、さらには国内で歌うことを禁じられた。






