コラム

公用語時代、「日本人の英語」はどうあるべきか?(第一回)

2010年07月05日(月)11時46分

 楽天やファーストリテイリングといった大手企業が、社内で英語を公用語にするというニュースが話題を呼んでいます。では、こうした「公用語時代」の到来に伴って、「日本人の英語」はどうあるべきなのでしょうか? この問題について断続的にお話ししてみたいと思います。

 まず第1回としては「上下関係から自由な英語」という点です。正確に言うと、2つの異なる問題から成り立っているのですが、その第1は「言葉としての英語の上手下手に上下関係を感じてはならない」という点です。昭和の時代までの日本人は、失敗した英語教育への被害者意識もあって、英語の会話や発音に強いコンプレックスを抱いていました。

 その結果として、「帰国子女」ブームが起きたり、その反動で「帰国子女いじめ」やその対策としての「外国はがし」などが起きたり、あるいは「ネイティブ」の英語話者に習うための英語塾などに人々が殺到したり、様々なドラマが生まれたのでした。その中でも最悪なのは、英語が聞き取れないままに「あいまいな微笑」を浮かべたために、交渉時に間違ったメッセージを送ってみたり、分からない場合は聞き返したり堂々と通訳を使うこともできずに、交渉の生産性が上がらないというような「ビジネス英語」について、多くの人が悪戦苦闘を強いられたことだと思います。

 その一方で、余計な母音が入って語尾の子音が聞こえない「カタカナ発音」でないと「偉そうに聞こえる」などという偏見、あるいは、そのカタカナ発音こそ「日本人の誇り」などという間違ったプライドなどが語られるようなこともありました。ちなみにカタカナ発音に関しては、程度問題であり「英語として通じる範囲」であれば「母語の影響による文化の一種」としてバカにされたら胸を張っても良いと思う一方で、英語話者に聞き取れないような強いアクセントは直した方が良いということは、認めるべきだと思います。

 とにかく、ある組織で、あるいはある会議の席で公用語として英語を使うという場合は、内容が勝負なのですから、発音や多少の文法の巧拙にとらわれていてはダメだと思います。部下が帰国子女でネイティブに近い発音と表現をしていても、上司がプロの管理職の目で「その企画はダメ」だと思ったら、堂々と否定すれば良いのですし、その際にお互いの語気や説得力に英語の上手下手ということは介在させない、これは1つのルールとして徹底すべきだと思います。

 もしかしたら、上手下手様々な英語が飛び交い、そこに英語話者の外国人や帰国子女が混じるような組織では、巧妙な話術やレトリックで「煙に巻く」という方法は通用せず、地道に事実に向かい合い、統計数字や計測数字を批判し合うような、あるいは抽象概念にしても参加者の理解度を確認しながら進めるような、極めてプロフェッショナルな仕事の進め方が可能になるかもしれません。

 中には、英語のできない執行役員はクビというような会社もあるようですが、別にその会社の執行役員がネイティブ顔負けの発音でなくてはならないわけではないのです。執行役員の職責を全うできるだけのコミュニケーションが英語でできれば良いのであって、その限りにおいてはカタカナ的発音であったり、多少単複に無頓着な喋り方であっても当面は良いのだと思います。ただ、自分は英語は苦手だからと、発表や交渉の場から逃避するような人材は失格でしょう。

 もう1つは、英語の上手下手による上下の感覚だけでなく、そもそもビジネスにおける個人的な上下の感覚をできるだけ回避して、フラットで距離感のあるプロフェッショナルな関係性を導入すべきという点です。日本語における管理監督行動には、今でもヒエラルキー的な権威を背景にした権力行使に近い「上から下への言語」と、その暴力的な権力から自身を守るための防衛的な言語がまだまだ残っています。例えば「テメー、来月も目標未達だったらイスがなくなるゾ」とか「部長、お願いですから例の件だけは勘弁して下さい」というようなもので、悪質なパワハラ・セクハラの類は近年やっと疑問視されるようになりましたが、軽いものは今でも残っています。

 ですが、公用語を英語にするというのは、こうした「上下関係の規定」に頼らないコミュニケーションを作らなくてはならないということなのです。例えば、英語で、"You, stupid! Your payroll is completely waste. I don't like to see your face again!" などというような「罵声」を上司が部下に浴びせたとしたら、基本的に犯罪ですし、民事でも相当取れるというのが常識でしょう。米英だけでなく、中国圏でも、インドでもそうだと思います。

 営業成績の悪い社員を叱責する際に、英語では、"I know you still have a challenge. Yes, it's a tough challenge. I know it. But my expectation is same as we agreed." というようなクールな言い方で、相手を縮み上がらせつつ、パワハラ的なニュアンスを回避するのが普通だと思います。言われた方も、その意味をプロとして受け止めなくてはなりません。そう考えると、日本語の「テメー」とか「勘弁して」という表現には、管理者も部下も甘えが入っているのは明白です。そうした上下関係から来る甘えを排除する、そうでなくては折角英語を導入しても国際化にはならないし、生産性も向上しないでしょう。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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