コラム

スリランカ難民がたどり着いたパリ郊外の団地に、戦場を再現する『ディーパンの闘い』

2016年02月05日(金)16時40分

内戦下のスリランカを逃れ、フランスに入国するため、赤の他人の女と少女とともに家族を装う元兵士。辛うじて難民審査を通り抜けたパリ郊外の集合団地に移り住んだが・・。(C)2015 WHY NOT PRODUCTIONS - PAGE114 - FRANCE 2 CINEMA

 多民族国家スリランカでは、多数派のシンハラ人と少数派のタミル人の間に深刻な対立があり、1983年から2009年にかけてスリランカ政府と分離独立を標榜する「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」による内戦が繰り広げられた。

 カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いたジャック・オディアール監督『ディーパンの闘い』は、内戦末期のスリランカから始まる。主人公は、内戦のなかで妻子を亡くし、戦いから身を引く決心をしたLTTEの闘士。彼は海外渡航の斡旋所で、親戚が暮らすイギリスに渡ることを望む女と母親を亡くした少女と引き合わされ、偽装家族に仕立てられる。

 父ディーパン、母ヤリニ、娘イラヤルとなった一家はフランスにたどり着く。そこで辛うじて審査を通った彼らは、パリ郊外にある低所得者向けの団地に移り住む。ディーパンは団地の管理人になり、ヤリニは家政婦の職を見つけ、イラヤルは小学校に通う。彼らの間には次第に家族のような感情が芽生えるようになるが、そこに暗雲が漂う。団地には麻薬密売グループの拠点があり、抗争が激化していく。

現代社会が反映されているが、リアリズムではない

 この映画には現代社会が反映されているが、オディアールはリサーチとリアリズムでそれを掘り下げようとしているわけではない。その一方で、ジャンル映画に愛着を持つオディアールが、内なる暴力性がむき出しになる『わらの犬』や『タクシードライバー』、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』といった作品を意識していることは間違いないが、そんな美学を究めようとしているわけでもない。

 オディアールは、主人公の変容(通過儀礼といってもいい)を浮き彫りにするような象徴的な物語を埋め込み、独自の世界を切り拓く。それがよく表れているのが、彼の代表作『預言者』だ。この映画では、傷害罪で服役したアラブ系の19歳の若者マリクが、刑務所内の勢力争いに巻き込まれ、処世術を身につけ、地位を築く姿が描かれる。そんな主人公には、タイトルが示唆するように、預言者ムハンマドが重ねられている。

 ムハンマドはビザンチン帝国とササン朝ペルシアという二大帝国が拮抗する情勢のなかで、孤児としてメッカに生まれ、天使ジブリール(ガブリエル)から啓示を受け、アラビア半島を統一していく。一方、無学で身寄りもないマリクは、コルシカ系とアラブ系のグループが対立する刑務所のなかで、自分が生き残るためにアラブ系の囚人の命を奪い、彼の前に現われたその囚人の幻影から啓示を受け、刑務所の内外に影響力を広げていくのだ。

内戦下スリランカとパリ郊外の団地で作られた「発砲禁止地域」

 『ディーパンの闘い』には、そこまで大胆なアプローチは見られないが、やはりリアリズムとは一線を画す象徴的な物語が埋め込まれている。この企画の出発点になったのは、スリランカ内戦の最後の138日間に戦場でなにが起きていたのかを明らかにしたカラム・マクレー監督のドキュメンタリー『No Fire Zone: The Killing Fields of Sri Lanka』だ。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

FRB利下げ「良い第一歩」、幅広い合意= ハセット

ビジネス

米新規失業保険申請、3.3万件減の23.1万件 予

ビジネス

英中銀が金利据え置き、量的引き締めペース縮小 長期

ワールド

台湾中銀、政策金利据え置き 成長予想引き上げも関税
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「何だこれは...」クルーズ船の客室に出現した「謎の物体」にSNS大爆笑、「深海魚」説に「カニ」説も?
  • 2
    燃え上がる「ロシア最大級の製油所」...ウクライナ軍、夜間に大規模ドローン攻撃 国境から約1300キロ
  • 3
    1年で1000万人が死亡の可能性...迫る「スーパーバグ」感染爆発に対抗できる「100年前に忘れられた」治療法とは?
  • 4
    「日本を見習え!」米セブンイレブンが刷新を発表、…
  • 5
    中国山東省の住民が、「軍のミサイルが謎の物体を撃…
  • 6
    アジア作品に日本人はいない? 伊坂幸太郎原作『ブ…
  • 7
    中国経済をむしばむ「内巻」現象とは?
  • 8
    ケージを掃除中の飼い主にジャーマンシェパードがま…
  • 9
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 10
    「ゾンビに襲われてるのかと...」荒野で車が立ち往生…
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 3
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる」飲み物はどれ?
  • 4
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 5
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 6
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 7
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    電車内で「ウクライナ難民の女性」が襲われた驚愕シ…
  • 10
    「何だこれは...」クルーズ船の客室に出現した「謎の…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 7
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 8
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 9
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 10
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story