コラム

最低賃金のアップは低所得層ではなく中間層に恩恵?

2016年08月09日(火)17時23分

 もっとも、最低賃金付近で働く労働者はフルタイムではなく短時間労働になっている可能性が高い。仮に労働時間を半分と仮定すると、追加の賃金は1150億円と計算される。

 1150億円という金額は単体で見れば大きいように思えるが、労働市場全体で考えるとごくわずかな金額に過ぎない。2014年度における従業員の総数は5262万人となっており、最低賃金付近で働く人は全体の1割程度である。また同じ年度に支払われた給与総額は133兆円を超える。労働者の給与総額が1150億円増えたところでマクロ的にはそれほど大きな効果にはならないと見てよいだろう。

 もちろん最低賃金が引き上げられれば、賃金全体にも上昇圧力が高まる可能性があり、もう一段の賃上げ効果が期待できるという考え方もある。ただ現時点においては、企業が人件費にかけられる総額には限度があり、最低賃金が上がったからといって、すべての労働者の賃金が上昇するまでには至らないだろう。経済政策として考えた場合、最低賃金の引き上げはそれほど効果的な政策とは言いにくい。

【参考記事】日本企業の役員報酬は本当に安いのか?

最低賃金労働者の世帯収入は500万円という謎

 ただ最低賃金の上昇には少し別の見方もある。最低賃金を実際にもらっている労働者の属性を考えると、お金の流れが変わってくる可能性があるからだ。

 最低賃金程度の賃金をもらっている労働者と聞くと、一般的には低所得層の従業員をイメージするかもしれない。しかし、現実に最低賃金程度で働いている人の属性はかなり異なっている。経済産業研究所の研究員らによる実証研究によると、最低賃金で働いている労働者の世帯年収は500万円を超えているという。これはどういうことかというと、最低賃金労働者の多くは、主婦のパート労働者なのである。

 これは少し落ち着いて考えてみれば容易に想像できる話かもしれない。現在の最低賃金ではフルタイム労働でも年収換算すると150万円程度にしかならない。世帯収入が150万円ということになると、相対的貧困率の定義では貧困層に近いと分類される水準である。この金額で世帯主として生活を成り立たせることは現実的にかなり難しい。日本における最低賃金は、主婦のパート労働者であることが大前提なのである。

 したがって最低賃金を引き上げた場合、実際に所得が増加するのは、低所得者層ではなく中間層ということになる。低所得層は所得のほとんどを支出せざるを得ないが、中間層は一定金額を貯蓄に回すことになるため、最低賃金の上昇は消費ではなく貯蓄を増やす可能性がある。一方、世帯収入が増加すれば、自動車や家など大きな買い物に踏み切ることも考えられる。このあたりは、それぞれの家計によって状況が異なるので一律には予想できないだろう。

 日本の最低賃金が諸外国に比べて著しく低いのは事実であり、引き上げそのものには意味がある。しかし、低所得層の所得が拡大し、消費が増えるというという経済効果はあまり期待できないと思った方がよい。安倍政権がこうした効果を狙っているのだとしたら、政策は少々空回りしているということになるだろう。

プロフィール

加谷珪一

経済評論家。東北大学工学部卒業後、日経BP社に記者として入社。野村證券グループの投資ファンド運用会社に転じ、企業評価や投資業務を担当する。独立後は、中央省庁や政府系金融機関などに対するコンサルティング業務に従事。現在は金融、経済、ビジネスなどの分野で執筆活動を行うほか、テレビやラジオで解説者やコメンテーターを務める。『お金持ちの教科書』(CCCメディアハウス)、『スタグフレーション』(祥伝社新書)、『本気で考えよう! 自分、家族、そして日本の将来』 (幻冬舎新書)など著書多数。

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