コラム

中東にとっての「広島・長崎」

2015年08月07日(金)20時05分

 「アメリカは原爆を投下して戦争を終わらせたことで、数百万人の命を救ったのだというが、そんな歴史は勝者の論理だ。事実は、日本がそれによって飢餓状態に陥り、生活と産業のインフラを破壊されたということにある。なので、頼るものもないアラブの市民のひとりとして、私はエジプトやサウディに核軍事開発を進めるよう求める。」

 ちなみに、イスラエルがパレスチナのハマースを攻撃する論理として「アメリカの日本への原爆投下の正当性」を挙げているのは、対照的だ。昨年8月に発行されたイスラエルのフリーペーパー「イスラエル・ハヨム」は言う。「日本はハマースじゃないしイスラエルはアメリカじゃない。でもイスラエルは過去の日本とアメリカから教訓を得ることができる。日本はカミカゼ攻撃を行ったけれど、成功せず、原爆というたいへんな代償を払った。...ハマースを力づくで無力化するしか、我々には道はない」

 ところで、2008、9年頃のアラブ・メディアの主張を見ていると、興味深い記事に出会った。カタールの日刊紙シャルクに寄稿したクウェートの宗教指導者の主張だが、上記のハヤート紙の記事同様、アラブ諸国に核軍備開発を促すもので、「過去に核開発に携わった科学者のいるエジプトと湾岸諸国のふんだんな資金を合わせれば、核開発なんて簡単だ」と述べる。そして、言う。「イラクで起きたことは、教訓とすべきだろう。イラクで核施設が破壊され、政権が転覆され、科学者や知識人が殺害されたことを見て、同じ道を歩むべきかどうか、考えなければならない。」

 何が興味深いかというと、この論考を書いたナビール・アワーディは、現在「イスラーム国」(IS)の資金援助元と言われ、クウェート政府によって市民権を取り消された人物だということだ。「原爆の被害者」という日本の経験は、アラブやイスラエルや、中東のさまざまな主体によって好きなような解釈され利用され、はては「イスラーム国」にまでつながっている。「原爆でやられて戦争に負ける」→「敵の圧倒的な力で民が蹂躙され政権が倒される」→「誰にも邪魔されない新しい国を作って外敵に対抗しよう」=「核武装したイスラーム国」、というわけだ。

 そうなのか。被爆の教訓は本当に、私たちが抱いてきた「過ちは2度とくりかえしませぬから」の思いから程遠い形でしか、中東に伝わっていないのか。

 今年春、エジプトの大手紙「アハラーム・ウィークリー」に、カイロ・フランス文化センターが主催する「若手クリエーター・フェスティバル」の記事が掲載されていた。そこで、若手による優れた演劇として取り上げられた作品のひとつに、井上ひさし原作の「父と暮らせば」がある。新進気鋭のムハンマド・ハミースが演出、主演した舞台で、昨年秋、国際交流基金の後援を受けてアレキサンドリアで上演されたものだ。今年初めには、「はだしのゲン」のアラビア語訳がカイロで出版されている。昨年初来日を果たしたパレスチナのラップグループ、DAMは、「沖縄に連帯!」と叫んでいた。

 「広島、長崎を見たい」という中東からの客たちに、私たちの被ばくからの教訓を、どう伝えるか。反米にも核開発競争にも力による敵の殲滅にも利用されない、ただ「2度と繰り返してはならない」意識で、つながり合う方法はあるはずだ。世界とどうつながるかを考えることは、私たち自身が自分たちの「戦後」を、きちんと認識することに他ならない。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ウクライナ東部の要衝ポクロウシクの攻防続く、ロシア

ワールド

クック理事、FRBで働くことは「生涯の栄誉」 職務

ビジネス

NY外為市場=ドル上昇、FRB12月の追加利下げに

ビジネス

キンバリークラーク、「タイレノール」メーカーを40
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    米沿岸に頻出する「海中UFO」──物理法則で説明がつかない現象を軍も警戒
  • 3
    9歳女児が行方不明...失踪直前、防犯カメラに映った「意外な姿」に大きな注目、なぜこんな格好を?
  • 4
    「あなたが着ている制服を...」 乗客が客室乗務員に…
  • 5
    「日本のあの観光地」が世界2位...エクスペディア「…
  • 6
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 7
    虹に「極限まで近づく」とどう見える?...小型機パイ…
  • 8
    【ウクライナ】要衝ポクロウシクの攻防戦が最終局面…
  • 9
    「白人に見えない」と言われ続けた白人女性...外見と…
  • 10
    これをすれば「安定した子供」に育つ?...児童心理学…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読み方は?
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    【話題の写真】自宅の天井に突如現れた「奇妙な塊」…
  • 5
    【ウクライナ】要衝ポクロウシクの攻防戦が最終局面…
  • 6
    9歳女児が行方不明...失踪直前、防犯カメラに映った…
  • 7
    【クイズ】1位は「蚊」...世界で「2番目に」人間を殺…
  • 8
    女性の後を毎晩つけてくるストーカー...1週間後、雨…
  • 9
    「日本のあの観光地」が世界2位...エクスペディア「…
  • 10
    だまされやすい詐欺メールTOP3を専門家が解説
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になり…
  • 5
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 6
    増加する「子どもを外注」する親たち...ネオ・ネグレ…
  • 7
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 10
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story