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中国の「監視社会化」を考える(5)──道具的合理性が暴走するとき

2019年2月27日(水)13時26分
梶谷懐(神戸大学大学院経済学研究科教授=中国経済論)

新疆ウイグル自治区の達坂城区にある「職業技術訓練所」の監視塔(2018年9月4日) Thomas Peter-REUTERS

<中国のなかでも新疆ウイグル自治区における監視は、社会の安定のためには人権も顧みない最も抑圧的なものだ。最新のテクノロジーを駆使して人物の特定や分類を行うなど、監視技術も進んでいる。政府によるこうした監視を監視する強い市民社会がなければ、先進国でも同じことは起こりうる>

       ◇◇◇

第1回: 現代中国と「市民社会」
第2回: テクノロジーが変える中国社会
第3回: 「道具的合理性」に基づく統治をどう制御するか
第4回: アルゴリズム的公共性と市民的公共性

第5回:道具的合理性が暴走するとき



「イプシロンは、自分がイプシロンでも気にならないのよね」レーニナは声に出して言った。

「そりゃそうだ。当然だろ。それ以外の自分を知らないんだから。もちろん僕らはイプシロンなんていやだけど、それはそういう風に条件づけられているからだよ。それに、もともと別の遺伝形質をもって生まれてきている」

「わたし、イプシロンじゃなくてよかった」レーニナはきっぱり言った。

「もし君がイプシロンだったら、条件付けのせいで、ベータやアルファじゃなくてよかったと思うはずだよ」

──オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』(大森望訳)より

日本でも、最近は中国の「監視社会化」への関心が高まっているようで、それをテーマにしたメディアの記事や新書なども目に付くようになってきました。それらの多くは、ジョージ・オーウェルが『1984年』で描いた、独裁者「ビッグブラザー」が至る所に設置された「テレスクリーン」を通じて人々の言動を監視するディストピア(オーウェル、2009)、あるいはドイツの政治学者、セバスチャン・ハイルマン氏が用いた「デジタル・レーニン主義」のような、中央政府に極度に情報が集中した、冷戦期におけるスターリニズムのイメージで捉えようとするもの(Heilmann, 2016) だといってよいでしょう。

『すばらしい新世界』

ところが、この連載ではこれまでそのような枠組みで中国の「監視社会化」を語ってはきませんでした。というのも私は、現在の中国社会で起きていることを、『1984年』のような冷戦期の社会主義国家における「監視社会」のイメージで語るのはかなりミスリーディングだ、と考えているからです。それよりもより便利に、快適な社会になりたいという人々の功利主義的な欲望を糧に発達しているという点で、オルダス・ハクスリーの『すばらしい世界』が描く世界の方がよほど現実に近いのではないか、と個人的には思っています。

人々が画一的で自由の奪われた生活を送る、文字通りのディストピアである『1984年』の世界に比べて、『すばらしい新世界』では人々は煩わしい家族関係や、子育て、介護などから解放され、やりがいのある仕事と不特定のパートナーとの性的関係を含む享楽的な生活を謳歌しています。

しかも、そこでは人々が己の欲望のままにふるまったとしても、決してそのことによって社会秩序が崩壊することはありません。その理由の一つとして、赤ん坊がすべて「社会的なもの」として育てられる、すなわち保育器の環境や栄養状況、並びに耳から聞かされるメッセージなどを通じて社会規範を逸脱するような欲望はそもそも抱かないように「条件付け」がなされているからです。それを支えているのが、社会階層と個人の能力をリンクさせることによって「アルファ」から「イプシロン」までのタイプが形成されて再生産され、過酷な肉体労働は最下層のイプシロンが担うなどの徹底した分業体制が敷かれているからです。

その意味では、『1984年』が20世紀初頭の社会主義のイメージに強く影響された世界観であるのに対し、『すばらしい新世界』はすぐれて資本主義的な、ある意味ではその理想形だとさえいる未来像を示している、と言えるでしょう。いずれもディストピア小説の古典的名作といわれながら、『1984年』はその後継作品を挙げることが難しいのに対し、『すばらしい新世界』の世界観はその後の多くの作品に受け継がれている──比較的最近の傑作としては伊藤計劃さんの『ハーモニー』があげられるでしょう──のも、この作品が人々に広く共有されている資本主義的・功利主義的な価値観をベースにしながら、その行き着く先を見事に暗示しているからかもしれません。 

さて、これまで述べてきたように、私は、人々のより幸福な状態を求める欲望が、結果として監視と管理を強める方向に働いているという点では、現代中国で生じている現象と先進国で生じている現象、さらには『すばらしい新世界』のようなSF作品が暗示する未来像の間に本質的な違いはないと考えています。憲法学者の山本龍彦さんは、中国の芝麻信用を例にとりながら、ビッグデータを活用した個人の信用スコアが普及するにつれ、ネガティブな評価を受けた人々の活動範囲が狭まり、階層が固定化される「バーチャル・スラム」という現象が生じる可能性がある、と警鐘を鳴らしています(山本、2018)。このAIとビッグデータを通じた「バーチャル・スラム」の固定化と、「アルファ」から「イプシロン」までのタイプが再生産されるという『すばらしい新世界』の設定までは、すでにあと少しの距離なのではないでしょうか。

そもそも、そういった「バーチャル・スラム」化の防波堤となるはずの社会近代的なリベラリズム、あるいは人権思想の前提となる「すべての人格は平等である」という前提そのものが、これまでもフーコーなどポストモダンの思想家から批判されてきたように、様々な矛盾をはらむものでした。その矛盾が、科学による道徳意識の解明や、テクノロジーによる道徳的ジレンマの解決の実装化という現実を受けて「人格の優劣」を直接「正しさ」の基準として採用する、「徳倫理」の復活としてより先鋭化してきた、という指摘もあります。

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