Picture Power

イラクから脱出できないスンニ派住民の苦難

THE LAST RESORT

Photographs by MOISES SAMAN

イラクから脱出できないスンニ派住民の苦難

THE LAST RESORT

Photographs by MOISES SAMAN

サラハディン州のアルブ・アジール村で、焼失した家の前にたたずむスンニ派住民のバラシム。イラク北部のISISの支配地域を脱出し、命からがら村に到着したところを撮影された。腕に抱いている男の子の母親は、逃避行の途中で地雷を踏んで死亡。バラシムは母を亡くした少年をずっと腕に抱えて村にたどり着いた

 首都バグダッドから車で数時間、イラク中部のハバニヤ湖はかつて新婚旅行のカップルや家族連れでにぎわう高級リゾート地だった。フセイン政権崩壊後しばらくは国内避難民のキャンプとして使われたが、09年に米軍などの協力を得て観光業が再興。4年前まではジェットスキーが湖面を行き交い、ビーチには子供たちの歓声があふれた。

 だが今やそんな光景は想像さえできない。ハバニヤ湖があるアンバル州はスンニ派住民が多数を占め、03年の米軍のイラク侵攻で激戦地となった地域だ。14年にはテロ組織ISIS(自称イスラム国、別名ISIL)が同州の大半を制圧したが、現在は政府軍が米軍の支援を得て奪還を進めている。ハバニヤ湖は、14年1月以来ISISの支配下にあるファルージャと、昨年12月に政府軍が奪還した州都ラマディの間に位置する。

 写真家のモイセス・サマンが今年2月、ハバニヤ湖畔を訪れた際には、スンニ派の4000家族が壊れそうなホテルとビーチに建てられた小屋で暮らしていた。水道も電気も下水道もなく、食料は国際赤十字頼み。かつてボートでにぎわった湖の水は飲料水として使われている。

 ISISから逃れてシリアやイラクの故郷を捨てた多くの難民の苦難の物語――定員オーバーのボートで海を渡り、欧州を目指す危険な旅路――に世界の関心が集まっている。一方で、それ以上に多くのシリア人やイラク人が母国を脱出することさえできず、行くあてなくさまよっているのもまた事実だ。

■親ISISとの疑念も

 国際移住機関(IOM)によれば、14年1月から15年8月までにイラク国内で避難生活を送る人は約320万人。その40%以上の130万人はアンバル州の住民だ。彼らの大半は貧しく、欧州を目指す余裕などない。仕事や学校に通えず、生活を再建するすべもなく2年以上避難している人々も少なくない。

 バルセロナを拠点とするサマンは、14年間にわたってイラクを追い続けてきた。最近はバグダッド州やアンバル州、サラハディン州などで家を追われたスンニ派住民に焦点を当てている。

 ISISが名目上はスンニ派の一派であるため、スンニ派住民は親ISISとの疑念を持たれやすい。そのせいもあり、彼らの苦難の年月に光が当たることは少なかった。

「多くのスンニ派コミュニティーがISISを支援していると言われるが、そんな単純な構図ではない」と、サマンは語る。彼が出会った人の中には、親族をISISに殺害されたり、かつて警察や軍に所属していたためにISISの標的にされている人も多い。「避難民キャンプにいる人の大半はISISと関わりたくなくて避難している」

 スンニ派の彼らが、シーア派住民が多数を占めるイラク南部に逃げ込むのは難しい。バグダッドでさえ分断されており、スンニ派住民は誘拐や逮捕を恐れて自宅周辺以外の地域に出掛けにくい状況が続いている。

 サマンが訪れた地域では、シーア派主体の中央政府は国民を代表していないという不満が多く聞かれた。スンニ派住民は祖国にいながら疎外感を募らせており、ISISはそうした感情に乗じて勢力を拡大してきた。しかも、たとえ政府軍がアンバル州を奪還しても不満は簡単には解消されそうにない。

 故郷を追われたスンニ派住民は、自宅に戻れる日をひたすら夢見ている。だがファルージャは戦闘の真っただ中、ラマディは瓦礫の山と化した今、彼らの多くには戻る場所さえない。


撮影:モイセス・サマン
1974年、ペルーのリマ生まれ。米カリフォルニア州立大学でコミュニケーション社会学を学ぶ。米新聞社でスタッフ・フォトグラファーとして中東などの紛争を取材し、2007年からフリーランス。世界的写真集団マグナム・フォト会員。2月にアラブの春をテーマとした写真集『ディスコーディア』を発表


Photographs by Moises Saman-Magnum Photos


<本誌2016年3月29日号掲載>



【お知らせ】

『TEN YEARS OF PICTURE POWER 写真の力』

PPbook.jpg本誌に連載中の写真で世界を伝える「Picture Power」が、お陰様で連載10年を迎え1冊の本になりました。厳選した傑作25作品と、10年間に掲載した全482本の記録です。

スタンリー・グリーン/ ゲイリー・ナイト/パオロ・ペレグリン/本城直季/マーカス・ブリースデール/カイ・ウィーデンホッファー/クリス・ホンドロス/新井 卓/ティム・ヘザーリントン/リチャード・モス/岡原功祐/ゲーリー・コロナド/アリクサンドラ・ファツィーナ/ジム・ゴールドバーグ/Q・サカマキ/東川哲也/シャノン・ジェンセン/マーティン・ローマー/ギヨーム・エルボ/ジェローム・ディレイ/アンドルー・テスタ/パオロ・ウッズ/レアケ・ポッセルト/ダイナ・リトブスキー/ガイ・マーチン

新聞、ラジオ、写真誌などでも取り上げていただき、好評発売中です。


MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 5
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 6
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 7
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 8
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 9
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 10
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中