コラム

潘基文・国連事務総長だけが悪いのか

2010年08月04日(水)15時53分

 中国国民の民族性の最大の特徴は現実主義かつ実用主義にある。かなり無茶な理想主義に向かって暴走するときもあるが(大躍進運動や文化大革命がそうだった)、基本的に彼らの考え方や行動は現実から遊離することはない。

 今から8年前。筆者が北京のある大学の国際関係学部に留学していたとき、授業で中国人教授が「国際社会は無政府状態にある」と何度も繰り返すのを聞いた。確かに国際社会は腕っ節こそ正義の「仁義なき」世界で、国連は世界平和のために根本的には何の役割も果たしていない。でもそれを言葉に出して言ったら身もフタもないのでは?

「国際社会は無政府状態」という中国人教授の見解は、かなりの部分で中国政府のそれと重なっているはずだ。「暴力」の裏打ちのない権力などこの世に存在しない。自前の軍事力をもたない国連は究極的には権力ではありえない。現実主義者で実用主義者の中国人たちは、「国連=無能力」という現実の冷酷さをよく理解している。中国の国連安保理での行動を見ればそのことはよく分かる。

 今日発売された本誌8月11日・18日合併号に「お引き取りください潘基文事務総長」という記事が載っている(記事はもともとForeign Policy.comのものだ)。去年の夏にノルウェーの次席国連大使が書いた潘を酷評する書簡が表ざたになったが、この7月、今度は元国連幹部が報告書で潘を「透明性に欠け」「説明責任を果たさず」「改革を推し進めようという兆候がまったくない」と批判していたことが明らかになった。筆者のジェームス・トラウブは「潘が2期目を務める事態を防ぐべき」とまで言い切っている。

 答弁が官僚的だとか、側近グループに権力を集中させているという批判はまだしも、英語がへたくそというのは半ば言いがかりだと思うが、とにかく潘が集中砲火を浴びている最大の理由は、国連事務総長という職務に対する期待と潘の実績のギャップが誰の眼にもはっきりしているから。だがその責任はただ潘1人に帰すべきものなのか。

 国連は1945年、世界平和の維持と国家間の経済協力、人道主義の実現を目指して発足した。ただ核戦争の恐怖が去ったのはソ連が崩壊したからだし、第二次大戦のきっかけになった各国間の経済的利害の衝突に対する調整役は、今やIMFや金融サミットが担っている(経済社会理事会という組織が国連にあることを知らない人のほうが多いだろう)。国連でまともに機能してきたのは人道支援活動ぐらいである。

 トラウブの指摘通り、国連事務総長は第2代のハマーショルドや第7代のアナンのように大国にも毅然とした態度を取り、道徳的価値観を掲げて国際社会をリードする人物であるべきだ。この2人に比べて潘が優柔不断に見えるのは確かだが、では毅然とした人物が事務総長だったとして、独自の軍事力ももたない国連がビルマや北朝鮮といった「鎖国国家」の人権侵害にどれだけ実効性にある手を打てただろうか。

 潘基文批判にはなんとなく欧米社会のアジア批判的な匂いもする(勃興するアジア経済に対する漠然とした不安感も背景にあるように思う)。ただ潘自身がだらしなかったのも間違いない。国連にできることは限られている。といってまったく無力なわけではなく、やりようによっては一定程度の成果は挙げられる。国連と潘の実現可能性に対するリアルな議論こそ必要だ。

「国連幻想」から目覚めよ。「英語がヘタクソ」と感情的に事務総長を罵る前に、やるべきことはある。

――編集部・長岡義博

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

バングラデシュ、米と貿易協定締結 繊維製品は一部が

ビジネス

アルファベット、ドル建て社債で約150億ドル調達へ

ワールド

米、NATO主要司令官2ポストを欧州に委譲へ=関係

ワールド

トランプ氏、4月第1週に習氏と会談=報道
MAGAZINE
特集:習近平独裁の未来
特集:習近平独裁の未来
2026年2月17日号(2/10発売)

軍ナンバー2の粛清は強権体制の揺らぎか、「スマート独裁」の強化の始まりか

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 2
    ビジネスクラスの乗客が「あり得ないマナー違反」...周囲を気にしない「迷惑行為」が撮影される
  • 3
    米戦闘機、空母エイブラハム・リンカーンに接近したイラン製ドローンを撃墜
  • 4
    【銘柄】「ソニーグループ」の株価が上がらない...業…
  • 5
    台湾発言、総選挙...高市首相は「イキリ」の連続で日…
  • 6
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた…
  • 7
    「二度と見せるな」と大炎上...女性の「密着レギンス…
  • 8
    変わる「JBIC」...2つの「欧州ファンド」で、日本の…
  • 9
    韓国映画『しあわせな選択』 ニューズウィーク日本…
  • 10
    【銘柄】なぜ?「サイゼリヤ」の株価が上場来高値...…
  • 1
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 2
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた実験室」に...抗生物質の「不都合」な真実とは
  • 3
    がんの約4割は、日々の取り組みで「予防可能」...予防のために、絶対にしてはいけないこととは?
  • 4
    致死率は最大75%のニパウイルスが、世界規模で感染…
  • 5
    米戦闘機、空母エイブラハム・リンカーンに接近した…
  • 6
    グラフが示す「米国人のトランプ離れ」の実態...最新…
  • 7
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 8
    台湾発言、総選挙...高市首相は「イキリ」の連続で日…
  • 9
    エヌビディア「一強時代」がついに終焉?割って入っ…
  • 10
    ビジネスクラスの乗客が「あり得ないマナー違反」...…
  • 1
    【クイズ】致死率50~75%...インドで感染拡大「ニパウイルス」の感染源となる動物は?
  • 2
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 3
    セーターが消えた冬 ── 暖かさの主戦場が「インナー」と「フリース」に移った日
  • 4
    海上自衛隊が水中無人機(UUV)を導入 中国の海軍拡…
  • 5
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた…
  • 6
    防衛省が「新SSM」の映像を公開、ノルウェー・コング…
  • 7
    中国で大規模な金鉱脈の発見が相次ぐ...埋蔵量は世界…
  • 8
    【クイズ】韓国を抜いて1位に...世界で最も「出生率…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 10
    180万トンの「リチウムごみ」を資源に...EV電池の「…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story