アングル:オルバン長期政権破ったマジャル氏、親EU掲げつつ保守層にも目配り
写真はペーテル・マジャル氏。 4月12日、ブタペストで撮影。REUTERS/Leonhard Foeger
Anita Komuves
[ブダペスト 12日 ロイター] - ペーテル・マジャル氏は子どものころ、当時ハンガリーで反共産主義の闘士として知られていたビクトル・オルバン氏の写真を自室の壁に貼っていた。1990年の同国初の民主的選挙に胸を躍らせていたころのことだ。
それから数十年後、新興野党「ティサ(尊重と自由)」を率いるマジャル氏はオルバン首相の16年にわたる長期政権に終止符を打った。過去最高の投票率を記録した今回の選挙はロシアを動揺させ、トランプ米大統領を含む欧米各国の右派勢力に衝撃を与えるとみられている。
12日に実施されたハンガリーの議会(一院制、定数199)総選挙で、親欧州連合(EU)のティサがオルバン氏率いる与党「フィデス・ハンガリー市民連盟」を破り圧勝した。ティサ党は138議席を獲得し、3分の2の多数を確保する見通しだ。
共産主義体制が崩壊した時、マジャル氏はまだ9歳だった。ブダペストの実家の壁を、著名な政治家たちの写真で飾っていたと本人は語っている。当時若手弁護士だったオルバン氏は、89年にソ連軍の撤退を公然と要求し、ハンガリーの民主化運動の英雄となっていた。
「体制転換をめぐるエネルギーの高まりが、子どもだった私を飲み込んでいった」。マジャル氏は昨年、ポッドキャスト番組でそう語った。
姓が文字通り「ハンガリー人」を意味するマジャル氏が脚光を浴びたのは2年前のこと。元妻でオルバン政権の元法務大臣ユディト・バルガ氏が、性的虐待事件の恩赦をめぐる世論の強い反発を受けてすべての政治的役職を辞任したことがきっかけだった。
マジャル氏はすぐに与党から距離を置き、与党フィデスに幻滅したとして、同党が腐敗し、プロパガンダを広めていると非難した。
ユーチューブチャンネル「パルチザン」でのインタビューで、ほぼ無名の状態から表舞台に現れてわずか4カ月後、マジャル氏の新党は2024年6月の欧州議会選挙で得票率30%を獲得。フィデスに次ぐ2位となり、他の野党勢力を圧倒した。
<広範な影響>
オルバン氏の敗北は、ハンガリー国内にとどまらず、欧州全体およびポピュリスト的な極右勢力にとっても重大な意味を持つ。
オルバン氏は10年以降、自ら「非自由主義的民主主義」と呼ぶ体制の構築を目指し、メディアの自由やNGO活動を制限するとともに、司法の独立性を弱体化させてきた。
ロシアのプーチン大統領やトランプ氏とは良好な関係を築く一方、EUとは繰り返し衝突してきた。EUはハンガリーの民主主義水準に対する懸念から、数十億ユーロにのぼる資金の拠出を停止している。
これに対しマジャル氏は、ハンガリーの西側志向を立て直し、35年までにロシア産エネルギーへの依存を脱却するとともに、モスクワとは「実用的な関係」を追求すると公約している。また、EU資金の凍結解除を実現すると約束しており、低迷するハンガリー経済の再生につながることが期待されている。
「初日に汚職対策法を成立させ、欧州検察庁への加盟申請を提出する必要がある」。マジャル氏は12日の朝、投票を終えた後にそう述べた。
ただ、マジャル氏は選挙戦を通じて保守的な有権者を遠ざけないよう慎重な姿勢を保ってきた。
オルバン氏とは異なり、マジャル氏はウクライナのEU加盟の権利を原則として否定しないが、ティサの綱領はウクライナの加盟を優先的に推進する立場はとっていない。移民受け入れに関するEUのクォータ制度への反対や、不法移民流入阻止を目的としてオルバン政権下で建設された国境フェンスの維持については、フィデスと同様の立場をとる。
それでもアナリストらは、ハンガリーとEUの緊張関係はティサ党政権下で緩和される可能性があると指摘する。この緊張は、オルバン氏がウクライナへの900億ユーロ(約16兆5744億円)規模の支援パッケージに拒否権を行使したことでさらに悪化していた。
「オルバン氏は欧州統合の現在の形とその方向性を信頼しなくなり、拒否権と妨害の政策を追求してきた」。地政学アナリストでレッド・スノー・コンサルティングのボトンド・フェレディ氏はそう解説する。「ティサは統合そのものには原則的に異論を持たず、実務的な次元で問題に取り組む姿勢をとるだろう」
<体制との衝突>
マジャル氏は今回の選挙でオルバン氏の手法を参考にし、フィデスの地盤である農村部にまで足を運ぶ草の根運動を展開した。集会では常に多数の国旗を掲げ、オルバン流にハンガリー有権者の愛国心に訴えた。
ベラ・アンド・ドナルド・ブリンケン・オープン・ソサエティ・アーカイブズの上席研究員ガボル・トカ氏は、マジャル氏の急速な台頭を支えたのは一貫した明確なメッセージの発信とソーシャルメディアの巧みな活用だったと分析する。同氏はまた、マジャル氏がオルバン氏と決別した経緯にも触れ、「体制と取り返しのつかない対立に踏み込み、退路を断った姿に、多くの有権者が信頼を寄せている」と述べた。
1981年生まれのマジャル氏は法律家一家の出身で、自身も法律を学んだ。2006年にバルガ氏と結婚し、彼女のキャリアに伴いブリュッセルへ移ったのを機にハンガリーの外交団に加わり、EU立法に携わった。帰国後は国営銀行に入行し、その後は学生ローン機関のトップを務めた。
マジャル氏とバルガ氏は23年に離婚。2人の間には3人の息子がいる。マジャル氏は自らを信仰心のある人間と述べており、趣味として料理を楽しむほか、友人や息子たちとサッカーをすることも多いという。12月に政界入り後の変化を問われた際には、短気な人物と伝えるメディア報道に触れながら、「今は10まで数えるようにしている」と語った。





