バイオリンの巨匠、パールマンが語る小澤征爾との「出前事件」、「卓球プレイ」と才能の核心
A COLORFUL CHARISMA
ボストン交響楽団の100周年記念コンサートを終えス テージを去るパールマン(下)と小澤(1981年10月)TED DULLYーTHE BOSTON GLOBE/GETTY IMAGES
<逝去した世界的指揮者、小澤征爾とバイオリニスト、イツァーク・パールマンの知られざる交流を、パールマン本人が振り返る。好評発売中の本誌「世界が愛した小澤征爾」特集より>
現代最高峰のバイオリニストとして世界の名だたるオーケストラと共演し、ソロでも活躍してきたイツァーク・パールマン。現在78歳の彼は小澤征爾との演奏会での共演や録音機会も多かった。公私ともに小澤と長年交流のあった米在住のパールマンが、電話インタビューで故人との思い出や音楽を振り返った。
恐らくは1960年代後半だったと思うが、フィラデルフィア管弦楽団主催のサラトガ音楽祭に関連した会合で会ったのが、初対面だと思う。セイジは人懐っこくて優しいし、すぐに打ち解けた。その後何度も共演したのはもちろんだけど、一緒にボウリングや夕食なんかも行ったし、音楽抜きで友達としてたくさん遊んだことを覚えている。
どういう経緯だったか、日本のテレビ番組『オーケストラがやって来た』で演奏した折、セイジとステージ上で卓球をしたこともあった。僕とセイジが友人ということを前提に、僕らに変わったことをさせてみようという企画だったんだろうね。
セイジの食への情熱はすごかった。彼をボストンに訪ねると、街一番の中華や日本食レストランに連れて行ってもらった。彼のおすすめはなんでもおいしいから、いつも店選びは任せきり。「あそこに行くぞ」とセイジが言えば、喜んでついていった。
おかしかったのが、東京の中華レストランだったと思うけど、食事をしていたら「寿司が食いたくなってきたな」とセイジが言い出して、出前を取ったこと。そんなことして大丈夫なの、と驚いたけど、彼は平気な顔をしていたな。
小澤征爾には「必然性」を生む才能があった
僕が愛するストラビンスキーの「バイオリン協奏曲」をセイジとやったのは最高だった。思うに、指揮者がテンポどおりに振ることと、本当にリズム感があることは、実は別のこと。単に拍子を刻むのではなく、セイジは拍と拍の間のビートも感じ取り、演奏に生かしていた。
僕が言うところの「内なるリズム」を備えていて、常に弾きたいように弾かせてくれたし、オーケストラとすごく合わせやすかった。だからセイジとは一度も衝突しなかったし、他のソロ奏者ともそんな調子だったのではと思う。
そんなレベルの音楽家と共演できるのは大いなる喜びだった。そういえば彼と同じようなリズム感を持っていたのが(小澤の師匠の)レナード・バーンスタイン。2人にはどこか似たところを感じる。
セイジは単に音楽の技術だけではなくて、その技術でどんな音楽を表現したいか、確固たる信念を持っていた。それが彼の才能の核心じゃないかな。音楽家は自分の音楽で聴衆を納得させなきゃいけない。単に良い曲を演奏するだけでなく、今この瞬間はこう表現するしかないんだ、という必然性で聴く人を別世界に運ぶこと。そのために指揮者は客より前に、オーケストラを納得させる必要がある。その必然性をセイジは若い頃から生み出すことができた。
最後に会ったのは、僕が4〜5年前に日本を訪れてランチに行った時のはず。日本の音楽祭に絶対出てよ、としきりに口説かれたなぁ。いま思い返されるのは、いつも愛らしさとポジティブさが感じられたセイジの人柄。音楽家としては、色彩豊かでファンタスティックなカリスマとして、世界中で語り継がれていくことは間違いないだろうね(構成・澤田知洋〔本誌記者〕)。