最新記事

いとうせいこう『国境なき医師団』を見に行く(ウガンダ編)

風呂に入れさせてもらえないか──ウガンダの難民キャンプで

2017年7月4日(火)17時30分
いとうせいこう

5人の子供を連れて

おじさんの横から立ち上がり、谷口さんを探すと違う施設の前で女性患者に話を聞いていた。患者の手の中には頭蓋骨の少し変形した幼児が抱かれていた。そっちはそっちで離れることの出来ないインタビューだったのだ、とわかった。

女性患者はジェーン・キデンと言い、二十代前半だと思われた。厳しい表情で黙っている彼女の代わりに谷口さんがそれまでの話を教えてくれたところによると、ジェーンさんは先週の木曜日にやはりカジュケジからウガンダへと逃げて来たのだった。彼女の場合、国境まで2週間かかったそうだった。

住んでいた場所を襲撃され、殺されるか彼らについていくかしかなくなり、逃げる以外に選択がなかった。市場も何も破壊され、生活の方法も奪われていた。

だからこそ5人もの子供をつれて、彼女はウガンダへと越境し、今は「タンク32」(水を補給するタンクの数字が彼ら難民の住所なのだ)にいる。まず何よりも体調を崩した子供の回復を願い、それがかなったら元の南スーダンに帰りたいと彼女は厳しい表情を崩さないまま俺たちに言った。

俺はしばらく沈黙していたあとスマホを取り出してジェーンさんの横に座り、カメラをセルフの方に切り替えてモニターを見せた。そこには俺とジェーンさんが映っていた。

それを見てジェーンさんは驚きながら笑った。俺もその声を聞いて思わず笑った。

写真はその瞬間のものだ。

彼女が笑ったほんの一瞬間の。

itou0704d.jpg

ジェーン

さらばインベピ・キャンプ

外来診療施設から車で移動する時も、ダウディおじさんは入り口のあたりに立っていた。まだ望みを捨てていなかったのかもしれないし、他にするべきことがなかったからかもしれない。ともかく俺はおじさんと目を合わせられないように思い、目を伏せていた。

けれども本当に車が動き出した時、そのままではすまないと考える自分がいた。窓から身を乗り出すと、すでにおじさんは俺を見ていた。俺は頭を下げた。おじさんはぎこちなく笑い、そうかやっぱりつれて行ってはくれないんだなと伝えているような顔をした。俺はもう一度今度は挨拶でなく謝るように頭を下げ、それから彼の目をしっかり見て手を振った。

おじさんはうなずき、やっぱり手を振った。顔が笑っているのが不思議だった。だが彼を背後にして車が砂ぼこりを上げて走り出すと、ダウディおじさんはああやって笑いながらたくさんのことを諦めてきたのだとわかり、もう誰も自分を見ていないのに車内で目を伏せた。

いや、本当に誰も見ていなかったろうか。

自分が自分を見ているその他に?

続く

profile-itou.jpegいとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

イスラエルがイラン再攻撃計画か、トランプ氏に説明へ

ワールド

プーチン氏のウクライナ占領目標は不変、米情報機関が

ビジネス

マスク氏資産、初の7000億ドル超え 巨額報酬認め

ワールド

米、3カ国高官会談を提案 ゼレンスキー氏「成果あれ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:教養としてのBL入門
特集:教養としてのBL入門
2025年12月23日号(12/16発売)

実写ドラマのヒットで高まるBL(ボーイズラブ)人気。長きにわたるその歴史と深い背景をひもとく

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    懲役10年も覚悟?「中国BL」の裏にある「検閲との戦い」...ドラマ化に漕ぎ着けるための「2つの秘策」とは?
  • 2
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツよりコンビニで買えるコレ
  • 3
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリーズが直面した「思いがけない批判」とは?
  • 4
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦…
  • 5
    「何度でも見ちゃう...」ビリー・アイリッシュ、自身…
  • 6
    70%の大学生が「孤独」、問題は高齢者より深刻...物…
  • 7
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジア…
  • 8
    中国最強空母「福建」の台湾海峡通過は、第一列島線…
  • 9
    ロシア、北朝鮮兵への報酬「不払い」疑惑...金正恩が…
  • 10
    ウクライナ軍ドローン、クリミアのロシア空軍基地に…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 4
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 5
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開した…
  • 6
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 7
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 8
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジア…
  • 9
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の…
  • 10
    身に覚えのない妊娠? 10代の少女、みるみる膨らむお…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 5
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 6
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 7
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 8
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 9
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 10
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中