「どうしてそんなに怒るの?」...映画『ハード・トゥルース』が描くのは、普通の家庭に潜む「怒り」と「孤独」
A Quiet Masterpiece
 
 
 パンジーは妹(右)と出かけた墓参りでも文句ばかり ©UNTITLED 23 / CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION / MEDIAPRO CINE S.L.U.
<笑い声の溢れる家と、笑えない家。その落差が痛い。巨匠マイク・リー監督の最新作は、普通の家庭の「日常の軋み」を浮かび上がらせる――(ネタバレなし・レビュー)>
劇場で映画を見る醍醐味の1つは、見ず知らずの多くの人たちと同じ物語を見て、一緒に泣いたり笑ったりすることだろう。暗闇の中でお互いに言葉を交わすことはなくても、自分は独りぼっちではないのだと肌身に感じさせてくれる経験だ。
だが、マイク・リー監督の『ハード・トゥルース 母の日に願うこと』は、ほとんど笑えない。それどころか、物語が進むにつれて観客はひどいしかめ面になっていく。
パンジー(マリアンヌ・ジャン・バプティスト)は、無口な夫と無職の息子とロンドン郊外に住む中年女性だ。毎朝、この世界に目覚めることが最大の苦痛であるかのように起床し、夜、眠りに就く瞬間まで、ずっと怒っている。
スーパーのレジ係にも、内科医にも、駐車場で声をかけてきた見知らぬ人にも、パンジーはけんか腰で当たり散らす。
近所の住民が子供に着せているベビー服についてさえ、「赤ん坊の服になんでポケットが必要なの?」と、言いがかりに近い怒りを示す。
もし、観客の間で笑いが起こったとしたら、それは意外に的を射た彼女のコメントに同意するからではなく、彼女がとにかくいつも文句を言っていることへの失笑だ。






 
 
 
 
 
     
 
     
 
     
 
     
 
     
 
     
 
     












