コラム

エルピーダに続きルネサスも苦境に、問題は会計制度では?

2012年05月23日(水)12時33分

 ルネサス・エレクトロニクスと言えば、昨年3月の東日本大震災で、ひたちなか市にある同社工場が被災したことの大きな影響から、改めて存在感が浮かび上がった会社です。同社における世界の自動車向けマイコン出荷がストップしたことから、日系をはじめとする世界各国の多くの自動車メーカーが操業停止に追い込まれたり、日系の企業を中心に同工場の復旧へ向けて「多くの支援」が行われたという報道は記憶に新しいところです。

 このルネサス・エレクトロニクスですが、5月9日に発表された2012年3月期の「通期決算概要」によれば、売上が8831億円に対して、営業赤字が568億円、しかもフリー・キャッシュ・フロー(手元キャッシュ)がマイナス648億円という厳しいものでした。この発表から2週間後の昨日5月22日には「5500人削減、600億円の出資要請」などという報道が一斉に流れ、前後して株価は急落しています。(※5月22日の時点で、ルネサス・エレクトロニクスからは「本日、当社の人員削減等に関する一部報道がありましたが、報道された内容は当社から発表したものではありません。また決定した事実もございません。」というプレスリリースが出ています。)

 2月のエルピーダ破綻を思わせるなどという報道もありますが、ルネサスの場合は昨年の震災後の動きからも分かるように、例えば車載用のオーダーメイドのマイコンに関しては、世界の40%のシェアを維持しており、ダントツの首位であるわけです。5月9日付の「通期決算概要」でも、今後ともこうしたコア・コンピタンス(中核事業)を中心に事業展開をしてゆくという方針が示されています。別に競争に負けたわけではないのです。

 勿論、問題のある事業もあります。例えば携帯電話向けのパッケージLSI(システム・オン・チップ)では、従来型携帯(いわゆるガラケー)市場の急激な減少を受けて売上が半減したり、TV向けのものでも市場縮小の影響を強く受けているようです。ですが、本業に関しては大きなシェアを維持し、しかも震災被害からの復旧も前倒しでできているわけです。

 では、どうして経営が苦境に立っているのでしょうか? 価格競争が激しいから値崩れしたという説明もあります。ですが、激しい競争に参加しているプレーヤーは他にもあるのであって、日本の半導体メーカーだけが特に採算割れしたセールスを続けているのではないと思います。

 例えば携帯電話などの場合に、業界全体の変化に対して受け身になっているということも言われています。例えば、アップルは「端末の設計・販売+OSとアプリの開発・販売」というビジネスモデルが、キャリアや生産メーカーに対してイニシアティブを取る中で高収益を維持しています。その一方で、ここ半年の「スマホ」の全世界的な躍進の一翼を担った「アンドロイド」はもう少しゆるやかな連合体ですが、猛烈な低価格化と高性能化で一定のシェアを確保しているわけです。

 そうした激しい変化に対して、どうして日本の半導体メーカーは受け身になるのでしょうか? 情報収集や判断が遅いからなのでしょうか? あるいは英語ができる人材が少ないので非効率だったり、価格などの条件交渉に負けるのでしょうか?

 問題の本質はそういうことではないと思います。私は会計制度に問題があると見ています。

 今、日本の各業種で検討が進んでいるIFRS(国際会計基準)を一刻も早く導入し、現場のレベルまでバランスシートとキャッシュ・フローを最良にするという経営的な観点での判断を可能にしないとダメだと思います。

 現在でもそうですが、日本の製造業の現場は「原価計算」に誇りを持っています。製品の開発から製造、販売、そして製品サイクルの終了まで、いかに厳密に費用を把握するか、費用を厳密に把握した上でいかにその費用を圧縮するか、そこに日本の製造業の「魂」があるというのです。そうした現場はIFRSに対して強い抵抗感を持っているようです。

 確かに、IFRSというのは、製造設備にしても、原材料や半完成品にしても毎期ごとに「時価」を算出することになっています。ですから、使い切っていなくても老朽化して価値がなくなった機械などは、その価値が無くなった期間に「減った分だけを損失として」計上しなくてはいけません。

 もう一つの特徴は「無形固定資産」という思想が強く入っていることです。例えば、日本式の会計では、研究開発費というのは費用になっています。例えばある年度に、次世代の半導体の研究開発をしていたとしても、カネを使ったのがその年であれば、その年の費用にしてしまいます。IFRSでは違います。次世代のための研究開発費は、カネを使っても費用にせず資産として蓄積していくのです。そして、実際に次世代のものを製造販売して売上が立ったところで、初めてそのコストとして認識するのです。

 では、どうして現代の変化の激しい半導体業界ではIFRSによる経営判断が適しているのかというと、競争が激しい中で、開発した技術の価値も製品の価格も、それこそ数カ月単位で市場によって激しく変動してしまうからです。「価値」が減ったらそこで「損切り」をしてゆく、逆に開発や買収は企業の「価値」つまり今後の収益力を向上するために行い、会計もその「価値」を激しい時の流れに負けないように追いかけていく、そうした経営が必要なのです。

 ルネサスの場合は、例えば昨年の震災被災により売上機会を逸したということ、設備に毀損が出たことなどがありました。こうした「例外的な」マイナスというのは、市場で適正に勝負を続ける中での会計処理とは混同せず「例外」として扱うべきなのです。そうした会計処理も、日本式ではできません。

 いずれにしても、激しい変化の中で、瞬間瞬間の企業価値を高めてゆくこと、その際に技術力も過酷な市場の評価にさらされる中で、精度の高い損益管理が求められること、そうした会計や経営のインフラが何としても必要なのです。

 日本の企業、特にエレクトロニクス産業がここへ来て価格競争が苦手になっているのは、単純にコスト高だからだとか、逆に自殺行為的な値下げをやっているからではないと思います。そうした瞬間瞬間の企業価値、企業の将来の収益性ということから逆算した「ギリギリの本当のコスト」が分からないから「競争に負けず、しかも収益を確保する」という非常に狭いゾーンでの経営判断ができないからだと思うのです。価格競争で負ける、勝っても損が出る、判断が遅い、M&Aの判断が外れる、どれも会計制度に問題があるために、バランスシートへの敏感な経営ができていないからだと思うのです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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