コラム

「上海献花事件」を報じない日本メディア

2010年11月24日(水)02時05分

 前略 マイケル・アンティ(安替)様

 10月半ばから始まったあなたの日本滞在も残すところあと3週間。中国人ジャーナリストとして初めて訪れた日本は、きっと驚きの連続だったことでしょう。ちょうど滞在が始まった直後に尖閣事件で日中関係がヒートアップしたのは、ジャーナリストとしてとてもラッキーだったと言っていましたね。ラッキーだったのは我々日本人も同じでした。ツイッターや記事、講演会で発信するあなたの情報は、ふだん我々が目にすることのない中国に関する新鮮な視点やネタであふれていました。

 最近、そのあなたが日本の主要メディアについて疑問を覚えている、とツイッターで知りました。

 今月中旬に上海で起きた高層マンション火災では60人近くが亡くなりましたが、ずさんな電気溶接工事が原因だとして、10人以上の工事関係者が既に逮捕されています。犠牲者をしのんで、この日曜日に数万人の市民が現場で献花したのですが、なぜか日本の主要メディアはこの件についてほとんど報じませんでした。

 これについて、あなたは「党の機関紙が報道した雲南省の炭坑利権をめぐる衝突事件は報じても、ネット上で話題の大事件に注目しないなんて、日本メディアには『構造的失敗』がある」とかなり強い調子でコメントしていましたね。

 日本のほとんどの全国紙やテレビの在京キー局は上海に支局を置いています。この火災はもちろん大ニュースですから、取材しないわけがありません。10社近く常駐記者がいて、記事が1本も出ないのには理由があるはずです。

 ご指摘のとおり、抗議の広がりを恐れた新華社やCCTV(中国中央電視台)が報じなかったため、安易に「転電」できなかったことが1つの理由でしょう。あなたが言うように、日本の記者たちは「お役所」の権威が大好き。役人からネタをもらうことを(本人たちは「ネタを取る」だと主張するでしょうが)最優先するようしつけられています。その習性は外報部や国際部に行っても基本的に変わりません。ただニュースソースがどこかということに強くこだわるのは、真実の追究というよりもっぱら誤報した場合の「新華社が間違ったからしょうがない」という言い訳のためなのですが。

 ひょっとしたら現場が当局によって封鎖されていたので、日本人記者たちは取材できなかったのかもしれません。でもAP通信が取材して立派な記事を書いているのですから、それは理由にならないでしょう(日本人はアメリカという権威にも弱いはずですから、APの記事を転電してもよかったはずですが)。

 もう1つあり得るのは、実はこれが一番怖いことなのですが、「数万人が献花」という事実を聞いても、何十人もいる記者やデスクが揃いも揃ってニュースだと感じなかったという可能性です。APによれば、抗議活動の広がりを恐れる当局は花をもたない人の追悼台訪問を認めなかったらしいですが、逆に何万人もの人間がみんな花を買ってマンションの焼け跡を訪れれば、それは何より無言の抗議であるはずです。

 抗議デモとか反日という記号には無条件に反応するのに、献花と聞いただけで刺激的でないと決めつけて「ゴミ箱」に入れてしまう――恐らくそれは読者や視聴者の欲求の反映でもあるのでしょう。百万人単位の読者や視聴者を相手にしている新聞社やテレビ局の記者にとっては、「数万人」など数のうちに入らないのかもしれません。でもそれだけの数の人の心と体を動かすのがどれだけ大変なことか。その想像力がマヒしているのだとすれば、とても恐ろしいことです。

 こんなことを書けるのも、私自身がかつて「あちらの側」に身も心もどっぷり浸かっていた人間だからです。ただ大半の現場の記者たちが今も気の毒なほど日々まじめに働いているのも事実で、彼らこそあなたの言うところの日本メディアが抱える「構造的失敗」の犠牲者なのかもしれません。

 離日までの健筆を期待しています。ご自愛ください。

                                     草々

――編集部・長岡義博

追伸:現在広州で開催中のアジア大会と何か関係があるのかもしれません。上海支局の記者たちの多くは、広東省を含む中国南部全域のニュースフォローも求められているはずですから。

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ガザで子どもの遺体抱く女性、世界報道写真大賞 ロイ

ビジネス

アングル:日経平均1300円安、背景に3つの潮目変

ワールド

中東情勢深く懸念、エスカレーションにつながる行動強

ワールド

ウクライナ中部にロシアミサイル攻撃、8人死亡 重要
MAGAZINE
特集:老人極貧社会 韓国
特集:老人極貧社会 韓国
2024年4月23日号(4/16発売)

地下鉄宅配に古紙回収......繁栄から取り残され、韓国のシニア層は貧困にあえいでいる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 2

    止まらぬ金価格の史上最高値の裏側に「中国のドル離れ」外貨準備のうち、金が約4%を占める

  • 3

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の衝撃...米女優の過激衣装に「冗談でもあり得ない」と怒りの声

  • 4

    中国のロシア専門家が「それでも最後はロシアが負け…

  • 5

    価値は疑わしくコストは膨大...偉大なるリニア計画っ…

  • 6

    中ロ「無限の協力関係」のウラで、中国の密かな侵略…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    休日に全く食事を取らない(取れない)人が過去25年…

  • 9

    「イスラエルに300発撃って戦果はほぼゼロ」をイラン…

  • 10

    日本の護衛艦「かが」空母化は「本来の役割を変える…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 3

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体は

  • 4

    犬に覚せい剤を打って捨てた飼い主に怒りが広がる...…

  • 5

    攻撃と迎撃の区別もつかない?──イランの数百の無人…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    アインシュタインはオッペンハイマーを「愚か者」と…

  • 8

    天才・大谷翔平の足を引っ張った、ダメダメ過ぎる「無…

  • 9

    帰宅した女性が目撃したのは、ヘビが「愛猫」の首を…

  • 10

    ハリー・ポッター原作者ローリング、「許すとは限ら…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

  • 10

    浴室で虫を発見、よく見てみると...男性が思わず悲鳴…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story