ホームレスたちと河川敷で寿司パーティー、そして「お母さん」と感動の再会をした
これが荒川の「お母さん」がキャップで土に編んだ「金ぴかのじゅうたん」
<連載の読者でもある友人から「ホームレスに薬を寄付したい」と言われた在日中国人ジャーナリストの趙海成氏。そこで、河川敷の地面に美しい「絨毯」を編むホームレスの女性にまつわる、まさかの出会いをすることになった。連載ルポ第6話>
※ルポ第5話:50年前にシングルマザーとなった女性は、いま荒川のホームレス。彼女が森でしていたことは? より続く
微信(WeChat)で発表したこの連載の中国版の読者でもある私の親しい友人が、「私も荒川をよくぶらぶら散策しているので、ホームレスたちが食べる物や使う物を渡したいのですが、趙さん、手配してくれませんか」とメッセージを送ってくれた。
私は「いいですよ」と言った。
すると彼は「薬は必要ですか」と尋ねてきた。
私は彼に(どんな薬を持っているかという)薬品のリストがあるのかを聞いた。ほとんどの家庭ではいろいろな薬が多少備蓄されている。この友人の家には備蓄薬が多すぎるので、期限が切れる前にそれらを寄付したいのではないだろうか。
友人は「どんな薬が必要ですか。買いに行くので」と言った。
彼のこの言葉を聞いて、私には分かった。彼は本当にお金を使って寄付したいのだ。
数日後、私はこの友人に返事をした。
「何人かのホームレスに聞いたが、彼らは薬を寄付したい熱心な人がいると聞いて、とても喜んでいた。本当に助かると言ってくれた。ありがとう! ホームレスたちが最も必要としている薬は、風邪薬、胃薬、痛み止め、虫除け、外傷の応急措置に使う薬などです。また、来週の木曜日には2~3人のホームレスと野外で寿司パーティーを開くから、参加しませんか。ついでに薬を持ってきて、直接彼らに渡したらどうでしょうか」
友人は喜んで私の招待を受けた。私たちは会う時間と場所を約束して、一風変わったピクニック晩餐会はこのように決まった。
この、性格がさっぱりしていて、手際がよく、優しさにあふれた弟のような友人は、富彤という名前だ。49歳で、社交ダンスシューズや各種ドレスを卸して販売する会社の社長をしている。
寿司パーティーに現れた、思わぬ人物は「息子」だった
パーティーの日の午後4時半、私と富彤さんは自転車に乗った。彼は薬の入った箱を、私は食品と酒類を背負って赤羽駅を出発し、約10分で荒川の鉄道橋のそばの小さな森に着いた。
森の前の空き地に小さなテーブルといくつかの小さな椅子が置かれているのを見た。明らかに桂さん(仮名)たちは準備ができていて、私たちが来るのを待っていた。
私が桂さんの家の前に来て彼の名前を呼ぶと、桂さんはいつものように笑顔でテントの部屋から出てきた。富社長が薬品を詰め込んだプラスチックの箱を持って桂さんに丁重に渡すと、彼は満面の笑みで口がふさがらないほど喜んだ。