10代の少年が教えてくれた「生きる知恵」――パリの裏側で生きる難民それぞれの物語
パリの難民が集まる18区のポルト・ド・ラ・シャペル (Photo: Ayana Nishikawa)
<難民が集まって暮らす、パリ18区のポルト・ド・ラ・シャペル。フランス在住ジャーナリストが、そこで生きる女性難民や10代青年の生き方を現地レポートする>
「ここはモンマルトルから約2キロ。難民、ドラッグ中毒者、売春、ホームレスが集まるエリアだ」
フランスで難民支援をするNPO「ユートピア56」のボランティア、クリステル・ロラン(25)が、パリ18区のポルト・ド・ラ・シャペルという地区を案内しながら教えてくれた。確かに、灰色のビルや移民が営む商店が立ち並び、典型的なパリのイメージとはまったく別の世界が広がる。さらに歩くと、売春や薬物の売買の拠点となった「ドラッグ中毒者キャンプ」も最近まであったという。10分歩き、すでに炎天下で陶酔状態に陥っているドラッグ中毒者5人ほどとすれ違っただろうか――。
この地区は、パリにいる難民の中心地でもある。彼らは食料や医療サポートを求めて集まり、複数のボランティア団体が拠点地として活動している。クリステルによると、密航業者や、知り合いの情報をツテにやってくるそうだ。
彼らの多くが、ダルフール紛争の戦火から逃れたスーダン人、そしてタリバンの暴力から母国を後にしたアフガニスタン人だ。腕や指がない青年、失明して瞳の色が変色した青年も珍しくない。
その他ソマリアや、アフリカのフランス語圏コートジボワール出身の難民も多く見かけた。大半が、家族を国に残して地中海を渡った10代後半、20代前半の青年という。
ここにいる多くの難民が、フランスで難民申請をし、審査を待っている人たちだ。
しかし残念ながら、フランスで難民として認められるケースは稀だ。難民・無国籍者保護局(OFPRA)によると、2017年に10万件の申請があったという。しかし、実際に許可を得たのはたったの4万3千人だった。不可だった場合の大半が、国外退去を命じられる。
食事や宿泊所は?
「ローカル」と呼ばれる20m²ほどの狭いボランティアの拠点に行くと、ちょうど朝食が配給されていた。マドレーヌ、食パン、ケーキなどが台の上に並び、毎朝700 人ほどが列をなす。これらは、近隣のパン屋から運ばれてきた、昨日の売れ残りだ。ドラッグ中毒者や、ロマ族も列に混ざっていた。
また、午後には熟れて少し黒くなったバナナ、葡萄、メロンなどのフルーツも届く。そんな光景を眺めていると、目が合ったアフガニスタン人の少年が微笑んで、「バナナ食べる?」と聞いてきた。